↓変な話は無いかのう。

 

平成21年 3月13日(金)  目次へ  昨日に戻る

――ああ、またこの手の話か。

このHPを読んでくれているひとが数人おられるとして、その多くが「このタイプのはもう厭きた」とお思いになるのではないか、と思うのですが、また見つけたので書いておきます。

明の天啓三年(1623)、江蘇・常熟の町。東門の近くに住むひとが場内の市場で一龞(べつ)を買ってきた。

は「すっぽん」ですね。それにしても、見れば見るほどかっこいい字。ほんとこの字を考え出したひとには感心する。

・・・家に帰って鍋に入れ、蓋をして煮込んだ。

しばらくすると煮え立ってきたのですが、

鍋中喞喞作声。

鍋中に喞喞(そくそく)として声を作す。

ナベの中から苦しそうな声が聞こえてくるのである。

始猶不以為異、細聴之、則似人言、莫殺我、莫殺我。

始めはなお以て異と為さざるも、これを細聴するに、すなわち人の「我を殺すなかれ、我を殺すなかれ」と言うに似たり。

はじめのうちは気にもしなかったが、じっくり聞いていると、どうもニンゲンが「わしを殺さんでくれ、わしを殺さんでくれ」と言っているようにも聞こえるのである。

それでもなお空耳であろう、と思って放っておいたら、やがて声は聞こえなくなった。

・・・さてさて。

すっぽんが煮えました。

「さあて、食うぞ」

とその甲羅をはぎとって肉を切ったところ、・・・いました!

于肋下得一人焉。長寸許、巨口、高鼻、粗眉、大眼、落鬍。儼然一波斯胡也。

肋下に一人を得たり。長さは寸許、巨口、高鼻、粗眉、大眼、落鬍。儼然として一波斯(ハシ)胡なり。

あばらの下あたりから、ニンゲンの形のものが出てきたであった。背丈は一寸ばかりしかないが、口は大きく、鼻は高く、眉はまばらで眼は大きく、ひげは下向き。どうみてもペルシア人である。

この小さなペルシア人は

頭上有髪、髪有髻、腹有臍、手足倶十指、股有毛、有勢亦有嚢。

頭上に髪有り、髪に髻(キツ)有り、腹に臍あり、手足に十指を具え、股に毛有りて勢有りまた嚢有り。

頭には髪があり、髪の一部はもとどりを結んでおり、腹にはヘソがあり、手にも足にも十本づつの指が具わっており、股間には陰毛が生え、●んぽこもあり、また○んたまもついていた。

そのような完全体のこびとであったのに、煮てしまったとは、まことに惜しいことであった。

一時、町中はそのことで持ちきりになり、ひとびとはみな争ってその家にそれを見に行ったという。

不思議なことにそれは

凡月余不敗。

およそ月余敗せず。

だいたい一ヶ月以上も腐敗することが無かった。

これはわし(注:肝冷斎にあらず、原著者の王柳南なり)が自分で考えたのではなく、我が郷里である常熟の大先輩、明のひと徐陽初(字・復祚)がその著書「村老委談」に書いていることである(から、信用してよい)。

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と、清・王柳南先生「柳南随筆」巻三に書いてあった。またまた中のこびと」のお話です。

思うにこれはフィギュアであったのではないか。声を出したというのだから精巧なやつであったのでしょうなあ。

このお話、別に殺伐としていないので、昨日のわしの予告を見て興奮しながら今日を待っていたひとの中には欲求不満なひともいるのでしょうなあ。「予告しておいて殺伐としないとはどういうことだ! 肝冷斎のやつめ、復讐してやる!」

とか思っておられることでしょうね。ああ、おそろしい。殺伐たるお話はまた今度にします。わしは週末になると殺伐としなくなるのである。(四月辞めるのには失敗した)

 

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