春がくるのだなあ。

 

平成21年 2月27日(金)  目次へ  一昨日に戻る

昨日は夜中まで表の仕事をしていたので更新はお休みしたのでしたな。

今日は昼間えらく雪が舞っていた。東京では今年はじめて見たような気がする。降る雪や・・・昭和も遠くなったものである。

今日もくたくたなので、寝る。

のですが、その前に、一昨日と同様に以下のごとき言葉を話して聞かせるので、泣きながら寝てください。

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老去自覚万縁都尽、那管人是人非。春来尚有一事関心、只在花開花謝。

老い去りて万縁すべて尽くるを自覚す。なんぞ管せんやひとの是なるとひとの非なるとに。春来たればなお一事の関心あり。只花の開くと花の謝(さ)るとに在るのみ。

年齢を重ねてもはやすべての人間関係が消え去ってしまったことを自覚する。どうしてこの上、誰が正しく誰が間違っているなどといったことに係わりを持つことがあろうか。(人間関係などどうでもいいのだ)

それでも春が来れば、なおたった一つだけ関心ごとがある。何ぞと言うに、花が開いたであろうか、花が散ってしまったのではないか、というただその一事じゃ。

わしもだいたいこのような年齢になってまいりました。

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是非場里、出入逍遥、順逆境中、縦横自在。竹密何妨水過、山高不碍雲飛。

是非場里に出入逍遥し、順逆境中を縦横自在なり。竹密なるも何ぞ水の過ぐるを妨げん、山高きも雲の飛ぶを碍(さ)えず。

正しいとか、間違っているとかいう争いの世界に関与してみたり絶縁してみたり。

うまくいっているとか、もうだめだとかいう状況がどちらになっても自由自在に振舞える。

(それがわれらの理想である。竹を組んで堰を作ると、そこで魚は堰きとめられるが、)どれだけ竹を密に組んでも水そのものは(竹の間をすりぬけて)留めることができない。どれだけ山が高くても、雲の空飛ぶのをさえぎることはできはせぬ。

自由自在であるべきなのだ。

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江山風月、本無常主、閑者便是主人。

江山風月はもと常主無く、閑者すなわちこれ主人。

明媚な川や山、そよふく風や月光、これらには定まった所有権者は居らぬ。ただ、心のどかな人間が、その都度の所有権者なのである。

わしのものになるのじゃ。

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これらも明・陳眉公編纂の「小窗幽記」巻五より。

すごい眠くなってきたです。泣きながら寝ます。ぐすん。起きたら幸せになっているといいなあ。

 

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