平成21年12月6日(日)  目次へ  前回に戻る

今日はO先生夫妻及びS先生にご相伴してふらんす料理を食べてまいりました。魚の肉、鳥の肉、どくどくと脂したたるブタの肉・・・多くの血肉を食らってまいりました。先生方は相変わらずご健啖で、その点はまことに嘉すべきことに思われた。特にS先生は昼間からワインをたくさんお飲みになられ、ご機嫌であられた。

お酒を飲んでご機嫌―――というので次のお話を思い出しましたね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

北宋の天聖年間(1023〜1032)、洛陽の天喜観に「張酒酒」といわれる道士がいた。

姓は張だが、「酒酒」はいつも酔っ払ってご機嫌でいるのでつけられた綽名であり、その本名・字、出身地は伝わらない。そのころに既に中年のとしごろであった。

彼はいつも酔っ払ってはいるのだが、ただ一つ、鏡磨きの能力の見事さでは、

他工不可及。

他工及ぶべからず。

他のどんな職人にも真似できなかった。

今も昔も、鏡というのは金属表面に己れの姿を映し、その反射する光を己れの像として見るものである。ただし、今の鏡は磨かれた金属の上にガラスをはめ込んでありますから、金属の表面はいつまでもぴかぴかですが、昔の鏡はガラスで覆われていないので、一定期間を経ると錫などを塗ってぴかぴかにし直さねばならなかった。これが「鏡磨き」である。(←以上の知識は本日「渋谷区郷土博物館」で得たもの)

あるとき、家の使いで、童子が径五寸ばかりの鏡を持参して、磨いて欲しいと依頼しにきた。

張道士は既に酔っていたが、童子から鏡を受け取ると、さらに一杯の酒をあおり、手にした鏡をあたりに

がつん

と打ち付けたので、鏡の表面に傷がついてしまった。

「ああ、傷がつきまちたよー、おねーたまに叱られてちまいまちゅう」

と童子が指摘すると、張は、

「これはまずいのう」

と言いながらにやりと笑い、鏡に何かの粉薬をまぶし、左右の手でつかんで、

ぐにゅう

と引き延ばした。すると、たちまち直径三尺ほどの大きな鏡となったのである。

「あわわー、ちょれでは大きすぎて手鏡になりまちぇんよー」

と童子が泣きそうになりますと、道士は、

吾与若戯。

われ、なんじと戯るなり。

ちょっとおまえさんとおふざけをしてみただけじゃ。

と言いまして、ご機嫌そうに

「わははは」

と笑いました。

そして、今度は粘っこい液体の薬を鏡の表面に塗りつけ、ついで敗れた毛布をこれに被せて、その上から数度鏡の全体を撫で、また揉んだ。

「よし」

と声をかけて毛布を取り去ると、鏡はもとどおりの大きさとなり、かつ、

清熒如故。

清熒もとの如し。

清らかに輝くこと、新品のようであった。

という。

「ありがとうございまちたー」

と童子からいくばくの銭をもらう。

こうやって、

得銭唯買酒、未嘗一日不酔。

銭を得ればただ酒を買い、いまだかつて一日も酔わずんばあらず。

銭をもらうと酒だけを買って飲む。彼が酔っていない姿というのは、一日たりとも見られたことはなかった。

ところがある日、張道士は、天喜観から、「ふ」といなくなってしまったのである。

どこかで野垂れ死にでもしたのであろう、とひとびとは、ほんの数日は噂にしたが、すぐに記憶の片隅に追いやってしまった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

半年ほどしたころ、郊外の村人が山中に入ったとき、はるか上の方に

見有人立於岩石之上。

人の岩石の上に立つあるを見る。

岩の上に立っているひとがあるのを見つけた。

「どういう人かね」

と疑問に思った程度だったのだが、このひと、その日は村人が用を終えて下山するまで、一日中そこに立っていたのであった。

そして、

経旬往視之、故在。

旬を経て往きてこれを視るに、故のごとくあり。

十日ほど経ってからまた山中に入ったところ、例のひとはまだ岩の上に立っていたのである。

「なんと不思議な方ではないか」

と思って近づいて見たところ、それは道士の姿をした死体で、手を胸の前でそろえて拱手し、立ったまま堅くなっていたのであった。

たちまち付近の村中の評判となり、噂が広まって役人が視察に来た。

邑尉検視、頂有一竅如鶏卵大、殊無血漬、面色如生。

邑尉検視するに、頂に一竅の鶏卵の大の如きありて、ことに血漬無く、面色生けるが如し。

所轄の武官が検死したところ、頭頂部に鶏の卵の出入りするぐらいの大きさの穴が一つあったが、特に流血の痕は無く、また顔色は生きているひとのようである。

ただ、このときは岩の上に倒れていたので、子細を聞くとある樵夫が誤って倒してしまったのだということであった。

武官はこの樵夫を罰して鞭打ちにした後、道士の死体は岩から降ろして、付近の土中に埋めた。

この道士がどうやら張酒酒だったようなのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「この道士が張酒酒だった」と認定したのが誰かわからないところがこの物語のミソの一つであるかと思います。

宋・張師正(字・不疑)「括異志」巻七より。S先生もいつか張道士のようになられるのかなあ。

 

表紙へ  次へ