平成21年11月17日(火)  目次へ  前回に戻る

「脚魚」というモノがあります。字面だけ見ると、ウナギイヌのような

足のある魚

を想像してワクワクしてしまいますが、これは「鼈」すなわちスッポンのことである。

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清の時代のこと。

鄭誠物という富商が、町の市場で巨大なすっぽんを買った。ウミガメほどの大きさのあるすっぽんである。普通のすっぽんではないらしく、そいつは市場の中でも、金色の目でニンゲンをぎろぎろと睨んでおり、頭にはカブトのような赤いトサカがついていた。

誠物はこの大スッポンを従者に背負わせて家に帰る途中、弟の鄭誠己の家の前を通りかかった。

誠己も手広く商いをして巨富を積んでいたが、この兄弟は親の遺産の件で仲たがいし、訴訟合戦になってもう三年も争っており、いまや時節の音信も交わさない間柄である。

「ふふん、誠己め、このすっぽんを見れば悔しがることだろうな」

と嘯きつつ、誠物は弟の家の門前を意気揚々と過ぎていく。

誠己はちょうど接客していたところであったが、門前が騒がしいので客を番頭に任せて覗いてみると、ちょうど兄の誠物と巨大なすっぽんを担いだ従者が通り過ぎたところで、路上ですれ違うひとたちがそのすっぽんの大きいのを指差して、

「さすがは鄭誠物さまよ」

「あちらが本家なことはあるのう」

と騒いでいたのであった。

誠己も大すっぽんを見て驚いたらしく、青ざめた顔でそれを見送っている。

その様子を見て、門番の李という老人が、

「さすがにあんな大すっぽんを見ると、兄上さまに負けた、とお思いですかな」

と声をかけた。李老人は先々代から鄭家に仕えており、分家の際に誠己に従ったが、近年の兄弟のいさかいを苦々しく思っている者であった。

誠己はかぶりを振った。

「いや、そうではない。そんなことではなくて、あのすっぽん・・・のようなモノは、モノの本で読んだところの「旱魚」というやつじゃ。ただのすっぽんがあんなに大きくなるはずがあるまい」

「ほう、旱魚・・・。珍しいものなのでしょうな。やはり羨ましい、とお思いか」

誠己は再びかぶりを振った。

「うらやましいはずがなかろう。旱魚は、

乃長蛇所化、食之決死無救。

すなわち長蛇の化するところにして、これを食らうに決死にして救う無し。

つまり、長いヘビが化けたものなのだ。毒があって食うと絶対に死ぬ。解毒の方法は無い。

という代物だぞ。尾の方を上にして梁に引っ掛けておくと、一晩でもとのヘビに戻る、というが・・・」

「なんと! それではすぐに報せてやらねばなりますまい」

「うむ。・・・じゃが、兄上はわしの言うことなど信用するまい・・・」

と、誠己は逡巡し、しばらくあって、

「ま、まあ、どうせ信用されぬのだから、放っておくしかないわなあ・・・」

と黙り込んでしまった。

さて。

今は分家しているとはいえ、もとの主の家である。

門番の李老人は、夕刻前に、そっと家を出ると、誠物の家に向かい、そこの料理人を呼び出した。

料理人も古くから鄭家に仕えており、李老人とはよく知った仲である。

老人は、料理人に、

「今日仕入れたすっぽんは、いつ料理する予定なのじゃ」

と問うた。

「今晩、街の有力者を集めて宴会をやるので、まず生きたままお客にお見せした後、屠って肉入りスープにするように、と言われておりますが」

「それはいかん。実はこれこれしかじかなのじゃ・・・」

もとより老人の誠実なのはよく知っている料理人である。

「なるほど。では、何とかしてみます。梁に尾を上にしてぶらさげておけば正体を現すのですな・・・」

夕刻になり、街の有力者が集まると、誠物は大すっぽんを持ってこさせた。

大すっぽんはぎろぎろとした金色の目でお客たちを睨んでいる。お客たちはその大きさに嘆声を挙げて誉めそやした。

誠物は満足気に

「よし、では、スープにしてまいれ」

と命じた。

料理人は、厨房に戻ると、助手とともに裏口の梁に縄ですっぽんの尻尾を結びつけて吊るし、代わりに市場から買ってきておいた普通のすっぽんを十匹ばかり、首を落とし甲羅を剥いでスープにしたのであった。

・・・・・・翌朝早く、料理人が裏口の梁を見ると、

龞已変為白花蛇、長約六七尺、頭頂甲蓋将及地。

龞はすでに変じて白花蛇の長さ六七尺なるものと為り、頭頂の甲蓋まさに地に及ばんとす。

すっぽんはすでに変化して正体を現し、猛毒を持つ白い花模様のあるヘビの姿となっていた。長さは六〜七尺(2m内外)もあり、尾を梁に結び付けられて、頭のいただきのカブトのようなトサカは、ちょうど地面すれすれになっている。

「おお」

料理人はすぐに誠物を呼び、ヘビを見せ、

「これが昨日のすっぽんの正体でございます」

と告げた。

誠物は

視之大驚、面如灰土、多時不語。見蛇曲身回顧、似欲噛其縄而不得。

これを視て大いに驚き、面は灰土の如く、多時語らず。蛇を見るに身を曲げて回顧し、その縄を噛まんと欲して得ざるに似たり。

その蛇を見て、大いに驚き、顔色は灰色になり、しばらくの間ことばを発することができなかった。ヘビは、体を曲げて、口で尾を梁に縛りつけている縄を噛みきろうとしているように見えた。

「ほ、ほんとうにこれがあの大すっぽんなのか」

「昨日はあるひとから毒蛇の化したものだと聞きましたので、普通のすっぽんに入れ替えて料理したのでございます」

頭のトサカのような飾りは、まさに昨日のすっぽんのとおりである。信じないわけにはいかなかった。

「い、いったいどなたがそんなことを教えてくれたのだ?」

「実は弟の誠己さまが、ひとを通じて教えてくださいました。直接申し上げれば信用してもらえないだろうというて、わたしどもの方にご連絡があったものでございます」

「誠己が、か・・・」

誠物はしばらく腕組みをしていたあと、

「わかった。ヘビを殺す前に、誰か誠己を呼んで来てくれ。もし来るのを嫌がったら、兄が毒に当てられて瀕死になっていると伝えよ」

と家の者に告げた。

やがて誠己が大慌てで駆けつけてくると、誠物は門前で拝礼しながらこれを待った。

「や、兄上、ご無事だったのか・・・ですか」

と絶句する誠己に対して、誠物は、

夜来幸吾弟別市他魚以易之、不然、吾弟手足併傷矣。

夜来さいわいに吾が弟、別に他魚を市(か)いて以てこれに易(か)う、しからざれば、吾が弟の手足あわせて傷めるかな。

「昨夜、ありがたいことにわしの弟よ、おまえが別の魚を買って取り替えておいてくれたので無事だったのじゃ。そうでなければ、わしの弟よ、おまえの手足(である兄弟のわし)はたいへんなことになっていたであろう。」

と言うて、深々と礼をした。

そう言われて誠己も、

「一目見て、書物で読んだたいへんな毒の魚であると気づいたのですが、

亦未経目睹。

またいまだ目睹を経ず。

やはりまだ一度も見たことの無いものです。

本当の確信が持てず、どうしても直接申し上げられなかったのです。本来ならどのようなお怒りを買っても、自らの手でお止めしに来なければならず、もし兄上が毒をお食べになるようなら、代わってわたしが食べて毒のあるのをお示ししなければならない(弟という)立場ですのに、そうできなかったのは、申し訳ないことでございました。」

と謝ったのである。

二人は、

令人斧断数段、深其穴而埋之。

ひとをして斧にて数段に断たしめ、その穴を深くしてこれを埋む。

従者に斧でヘビをいくつかに分断させ、穴を深く掘って地中に埋めた。

その後、兄は家に酒食を用意させ弟にこれまでの不仲を詫び、弟もまた謝罪して、それからは訴訟も取り消し、兄弟仲良く暮らしましたのよさ。

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ヘビがすっぽんになるとは驚きですが、兄弟が仲直りできてよかったですね。これも弟の誠己がヘビがすっぽんに化けることを知っていたからで、やはりニンゲンは勉強をしておかなければなりませんなということじゃ。

虚白道人・解鑑「益智録」(烟雨楼続聊斎志異)巻五より。

虚白道人は清の後半、済南のひと、若いころから科挙試験を受け続けて四十余年にわたって落第を続け、老年に至って、たとえ官僚にならなくても、「小説」の形で善を勧め悪を懲らすの文をかけば、道によって人を導くことができるであろう、と気づき、咸豊六年(1856)にこの本を書いてくださった。ありがたいことです。我が日本国ではちょうど吉田松陰先生が野山獄で「講孟箚記」を著わしているころです。

虚白道人は、すでに本HPに三年ぐらい前に一度登場していたとも思いますが細かいことは忘れた・・・。

 

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