平成21年11月1日(日)  目次へ  前回に戻る

清・康煕年間の終わりごろ、世はようやく太平の風気を示しはじめたころのこと。

安徽のとある田舎町、田植えの前の、春の終わりの宵宮祭の露店を、長身のとでっぷりしたのと髯もじゃのと、三人の士人が冷やかし冷やかし見物していた。

やがて三人はとある露店の前で足をとめ、しばらくその店の商品を品定めする。

金魚屋である。

「お官人、気に入ったのがあったなら買って行っておくんなさい」

店のおやじに声かけられて、肩をすくめた髯もじゃ、でっぷりしたのに声かけて言う、

「どうだい、いや、悪くはないが値が高くはないかね」

でっぷりが答えていうに、

「なあに、晩に一杯飲み、どじょう鍋でも囲んで詩文の一つもひねったか、と思えば安いもんじゃないかね」

頷いたのは長身の方で、

「なるほど、それはそうだ。

金魚之所以免湯鍋者、以其色勝味苦耳。

金魚の湯鍋を免かるる所以のものは、その色の味の苦きに勝るを以てなるのみ。

金魚がなべにされてしまわないのは、色あいや姿が味の悪さにまさっている、というだけが理由だよね。

むかし、あるひとが高いお金を出して金魚を買い、村の長に贈ってやったところ、しばらくしてから長が礼を言いにきた。

賢所贈花魚、殊無味。

賢の贈るところの花魚、ことに味に無し。

この間、あなたさまからいただきました花のごとく美しい魚は、特に味がよろしく無かったですな。

ああ、

世豈少削円方竹杖者哉。

世にあに円を削りて竹杖を方にせんとする者少なからんや。

世間には、(この村長のように)丸い竹をわざわざ削って(そうなるはずがない)四角い竹にして杖つこうとするひとが、少なくないのが嘆かわしい。(多くの人が本来の才能を生かされずに矯められてダメになっていくねえ。)」

髯もじゃが引き取った。

「どうして金魚に同情することがあるのかね。金魚が煮られないのは、まことにこの世に、見た目ばかりで徳寡ない者がはびこっているのに似ているではないか。」

「待て待て」

でっぷりが言うた、

「いやそうではない。

鱗虫中金魚、羽虫中紫燕、可云物類神仙。正如東方曼倩避世金馬門、人不得而害之。

鱗虫の中におけるの金魚、羽虫の中の紫燕、物類の神仙と云うべし。正に東方曼倩の世を金馬門に避け、ひと、得てこれを害せず。

うろこあるイキモノの中の金魚、羽のあるイキモノの中の紫燕(飼い鳥の一種である)、この二つはイキモノの中の神仙というべきであろう。ニンゲンの世界で、漢の東方朔が、世の中から隠れて役所勤めをし、誰もその優れた人物であることを見抜けずに(したがって嫉みや攻撃の対象とならず)生き延びたのとまったく似ているではないか。」

東方曼倩(曼倩は字、名は朔)は漢の武帝に仕え、滑稽のうちに諫言してその政を正したひとであり、その行動は常識では測り切れなかったゆえ、後世、謫仙人(天界で罪あって人界に流罪になった天人)であるといわれた。

史記・巻126・滑稽列伝にいう、

あるとき、若い貴族(殿中郎)のひとりが、東方朔に問うた。

人皆以先生為狂。

ひとみな先生を以て狂と為す。

ひとびとはみな、東方先生、あなたのことを奇人変人だと言うてますよ。

すると、東方朔は答えて言うた、

如朔等所謂避世於朝廷間者也。古之人乃避世於深山中。

朔らの如きはいわゆる世を朝廷の間に避ける者なり。いにしえのひとはすなわち世を深山中に避く。

わしらのようなのは、朝廷の中に隠れ住んでいる者というやつじゃ。むかしのそういうひとは深い山の中に隠れ住んだものだけど。

時座席中酒酣、拠地歌。

時に席中に座して酒酣わ、地に拠りて歌う。

そのときは、宴会の座の最中で、みな酔って気分がよくなっていた。東方朔は地面に座り込んで歌い始めた。

その歌にいう、

陸沈於俗、避世金馬門宮殿中、可以避世全身、何必深山中、蒿蘆之下。

俗に陸沈し、世を金馬門宮殿中に避け、以て世を避けて身を全うすべく、何ぞ必ずしも深山中、蒿・蘆(こう・ろ)の下にせん。

世間さまに沈みこんで、金馬門のある宮殿の中に隠れ住み、何とか隠れ住んで生き延びることができようぞ。どうして深い山の中、よもぎやあしの陰に隠れることが必要であろうか。

ちなみに「陸沈」とは俗世界は水中ではないのに沈む、ので、陸の上なのに沈む、と表現したもの。また、「金馬門」とは長安の宮中の門の一つで、傍らに銅製の馬が立てられていたのでかく言うと伝わる。

後のひと、

小隠山林、大隠朝市。

小隠は山林にし、大隠は朝市にす。

一般の隠者は山中や森林の中に隠れるが、まことの隠者はお役所や市場に(ふつうのひとのような顔をして)隠れているものじゃ。

と称した。

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「ところで買うのかい、買わないのかい」

と金魚屋のおやじに問われた三人は、

「いや、帰りに一杯飲んで」

「どじょう鍋を囲むことにしたから遠慮しておく」

「ついでに出目金のように薄情な妓女でも揚げるか」

と言うて去って行った。

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清・張心斎「幽夢影」第四則より。ちなみに上記のでっぷりが張心斎、長身のやつと髯もじゃが、それぞれ評を附けた江含徴石天外というひとである。

 

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