平成21年10月27日(火)  目次へ  前回に戻る

達失干の東、撒馬児罕の西に、塞藍の町がある。

と書かれてすぐわからないひともあるかも知れませぬ(ほとんどのひとはみな知っているのでございましょうが)ので、音訳すると、

○達失干=タシュケント

○撒馬児罕=サマルカンド

○塞藍=サイラーム

というそうです。いわゆるシルク=ロードの都市である。

さて、このサイラームの町には城壁があって、これを廻るに三里程度である。一里=500〜600メートルなので小振りな都市というべきであろう。四面はすべて平原で、険阻な地はどこにも無く、人口は稠密で樹木はよく繁茂し、流水が城壁の周りをめぐっており、穀物もよく実る。

典型的なオアシス都市である。

「このサイラームには名物があった」

と陳竹山というおっさんが言いました。

「はあ、何ですか」

とわたしが問いますと、陳竹山は

「ふふ。そう来ると思ったわい。おい、李暹くん、説明してあげなさい」

と傍らにいた長身の青年に命じた。

「はい、であります」

と答えた後、青年はわたしの方に向き直り、

「えへん。えー、

秋夏間草中生小黒蜘蛛。

秋夏間に草中に小黒蜘蛛を生ず。

夏から秋にかけて、草むらに小さな黒クモが生息するのであります。

この黒クモが名物であります。元の時代から、チュウゴク本土に鳴り響く名物でありました。

なんでそんなに有名かと言いますと、

為毒滋甚、人或被其噬者、疼痛遍身、呻吟動地、諸薬莫解。

毒を為すこと滋甚にして、ひとあるいはその噬(ゼイ)を被る者、遍身に疼痛して呻吟して地を動かし、諸薬の解く莫し。

その毒がすごいのです。それに咬まれたひとは、体中が激しくうずくように痛み、そのうめき声は大地を揺るがすほどであり、どのような薬を使っても解毒することができないのであります」

「ええー、なんと、なんと、なんですと!」

とわたしは驚いた。

ちなみにこの二人は、明の時代、永楽帝の命を受けて西域諸地方に五度使いしたという陳誠(字・子魯、竹山と号した)と、その助手であった李暹である。上の言葉は、永楽十三年(1415)の西域行きの後、二人が政府への報告のために著わしたと考えられる「西域蕃国志」にも書いてあります。

「うひゃあ、どうやっても治癒できないのですか」

とびびりましたが、

「いや、一応解毒する方法はあるのです・・・」

と李暹が言いますので、耳を傾けてみたい。

・・・・・・・・・・と思ったところで、明日も仕事なので今日はここまでとさせていただきます。悪しからず。

 

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