平成21年10月25日(日)  目次へ  前回に戻る

「今日は早く眠らないといかんのですよー、明日は仕事なのに、今やっと遠い遠いところから帰ってきたところなんですから、疲れてそのまま眠ってしまいそうだ」

とわしが言うと、酔茶老人はふむふむと頷き、

「まあそういうな。わしもせっかく清の時代から時間を超えて来たのだから、何か話して行かんとなあ。・・・それでは今日のところは短い話をしよう。おぬしは「小夜叉」を見たことがあるか」

「小さい鬼ですか。見たこと無いですよー、大きい鬼も無いですよー、しかし、ニンゲンの姿をした鬼はたくさん見た」

「話して進ぜよう・・・」

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19世紀のチュウゴクである。

保陽(保定府のことなり。直隷(河北省)に属す)のとある読書人、夜明け前に目を覚まし、

「そういえば昨夜は史書を読み、箚記(メモ)を作っていた。疲れていたのでそのまま眠ってしまい、書斎の文具を片付け忘れたな・・・」

と気づきまして、灯火を持って書斎に行った。

灯火を机の上に置き、さて筆と墨を片付けよう・・・としたところで気がついた。

墨床上臥一物。

墨床上に一物臥す。

墨置きの箱の中に、何か小さなモノが寝転んでいるのだ。

「む・・・むむむ?」

墨置きの箱をベッド代わりに寝転べるのだから、その背丈は三四寸ほど。

如夜叉状、赤髪藍身、袒臂、着紅袴、枕墨酣眠、翕翕猶未醒也。

夜叉の状の如く、赤髪にして藍身、袒臂にして紅袴を着け、墨を枕にして酣眠し、翕翕(きゅうきゅう)としてなおいまだ醒めず。

その姿は伝え聞くインドの魔物・ヤクサ――人間に似ているが、角と牙を生やし、髪は赤く、体は青い。両腕はむき出しで紅色のパンツを穿いている。

そいつは、墨置きの中の古い墨を枕にしてぐっすりと眠っており、きゅう・きゅう、と寝息を立てて起きようとしないのだ。

そのひとはびっくりして、しばらく茫然としていたところ、灯火のゆらめきに気がついたか、

物已覚、翻身一躍、化為蝶。

物すでに覚め、翻身一躍して化して蝶と為る。

小夜叉は目を覚まし、一瞬そのひとと目を合わせたが、次いで身を翻してひと飛びすると、――蝶に変化した。

そして、窓の紙の破れから、ようやく白みはじめた夜明けの空に飛び去って行った。

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「酔茶志怪」巻二より。

「夜明けに夢を見たのだろう、と納得してしまうなかれ。そんなことを言い出したら、おまえが昼間見ているものだって、すべて夢でしかないのではないかな」

と李酔茶先生はにやにやした。

わしもこれから疲れて眠るので、朝方にはこんなのを見るかも知れぬ。

 

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