平成21年10月18日(日)  目次へ  前回に戻る

雲のごとし。

先ごろ(14世紀のはじめごろ)、浙江・余姚の三山に林観過という少年がいた。

いわゆる神童というやつで、早くから文学に熟した。

年七歳、嬉遊市中、以鬻詩自命。

年七歳にして市中に嬉遊し、詩を鬻ぐを以て自命す。

七歳のときには街中でふらふらするのを楽しみ、ひとに乞われて詩を作って自活していた。

親がどうしていたかは知られない。

例えばあるひとが試みに「転失気」の詩を作ってみよ、と言うと、少年たちどころに筆をとって

視之不見名曰希、  これを視れども見えず、名づけて「希」といい、

聴之不聞名曰夷。  これを聴けども聞こえず、名づけて「夷」といい、

不啻若自其口出、  ただにその口より出づるがごときのみならず、

人皆掩鼻而過之。  人みな鼻を掩いてこれを過ぐ。

 じろじろ視てみても見えません。「目に見えぬ」という。

 耳そばだてて聴いてみても聞こえません。「すかし」という。

 (音もしないので)口から出たかのように思われるのだが、

 まわりのひとはみな鼻を覆って通り過ぎて行く。

「ほほう」

「いや、これは素晴らしい。目、耳、口、鼻の七穴がすべて詠み込まれている」

「大したもんだ、これを取っておけ」

と作詩料をもらって、

「ありがとうございまちゅ」

と少年はお礼をするのであった。

ちなみに、「転失気」とは何ぞや。

「失気」だけで「おなら」を意味し、「転失気」は、おならが肛門から出ず、腹中で音がすること、和語でいう「へがえり」のことである・・・というのはわたしが言うているのではなく、諸橋轍次大先生が言うている(「大漢和辞典」巻十)のだから笑ってはいけません。なお、「転失気」で「おなら」のことを言うこともあるよし。ここは上記の記述から見て「すかしっぺ」を意味すると考えるべきであろう。

閑話休題。

このような神童でありましたが、

林曾試神童科、不甚達。

林かつて神童科を試みるも、甚だしくは達せず。

林少年は神童科(科挙の一種で少年を対象とするもの)を受験したが、大した答案は書けず、試験官の評価を得ることはできなかった。

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と、元の蒋正子「山房随筆」に書いてあった。なお、林少年のその後については不明である。

ちなみに清の時代に、嘉善の何文煥という文人、これを読んで、はじめ「むむむ」と赤い顔をして唸り、ついで「がはは」と快活に笑い、「そりゃそうじゃろう」と独り言を言いながら、筆をとってその下に一文を書き足した。

侮聖経、涜文字、罪莫大。不達而無奇禍、猶其幸也。

聖経を侮り、文字を涜(けが)す、罪莫大なり。達せずして奇禍無きこと、なおそれ幸なり。

(このような態度で科挙を受けるなどとは)聖人の遺した四書五経の経典を侮蔑し、神聖なる文字を冒涜するものであり、罪これより大なるものの無いほどの重罪である。大した答案が書けず、偉い方々の耳に名前と行動が届かなかったからよかったものの、そうでなければ逆にどんなたいへんな罰を受けたかも知れぬ。まだしも幸運だったというべきだろう。「歴代詩話考索」より)

宮仕えしているとどんな奇禍があるかもわかりませんので、とりあえず幸いであったというべきであろうか。

 

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