肝冷斎観タマ記20−1(1月26日〜)  表紙へ戻る  観タマ記19−29に戻る

←まだ寒いです。

平成19年 1月26日(土)  表紙へ     
1400(1415到着)〜1616  ヤフードーム
マスターズ・リーグ 福岡ドンタクズ対名古屋80なんとか戦
名古屋  103 020 000   
福岡   000 010 013   

 主審:福井 一塁:寺本 二塁:山本、三塁:村田

今年の第一戦はマスターリーグになりました。
ドンタクズの稲尾監督が亡くなり中西太氏が代行監督をしておられるそうですが、一回の裏に先頭打者で出ておられたようなのですが、見逃しました。名古屋はこの試合で15点とると、優勝の目があったそうなのですが、さすがに15点は無理でしょう。これで今年は札幌が優勝らしいので、6シーズンで福岡を除く4チームがすべて優勝したことになるはずです。
四十台までの選手はやはり立派な守備範囲してるなあ、と驚かされます。福岡は四回から若田部出てきて140キロ出していたので「それはないやろ」と思ったのですが、ちゃんと五回に二点とってしまうからすごいです。名古屋はマシンガン打線みたいにつながるのですごいです。最終回はオモシロかった。久しぶりでやきう観たので、ほくほくした。もう少し安いといいのですが。
←小さくてもちろん分かりませんが、達川氏がマスクをかぶっている。現役時代よりフットワークは良さそうである。

試合終了後、まだ日があったので筑前前原へ行ってみる。福岡市の西側、糸島半島の付け根部にある衛星都市みたいな町ですが、着いたころには日が暮れていた。筑前前原の北側が、わたしの実家(三重県伊勢市)地方と共通の地名がある、というのでウワサの志摩町なので、わくわくして前原に宿泊し、27日(日)に地タマ(土地の精霊)や水タマ(海や川・湖の精霊)を観光してまいりました。
最近ついに入手した「倭名類聚鈔」によれば
筑前国 志摩郡  には
韓良 久米 登志(とし) 明敷(あかしき) 鷄永 川辺 志麻
の七郷あり、とされ、現在も少なくとも韓良、久米、登志、川邉、志麻については対応する字が確認できる。
行ったところは以下のごとし。
1 産の宮神社・・・行きがけの駄賃。
2 志登支石墓群・・・田んぼの中にありました。いにしえはほとんど海沿いだったのだろうと思う。
←この微高地に何枚かの石板みたいなのが置いてある。その下は地中であるが、四辺に石板が立てられていて、空洞になっているのであり、そこに甕棺や木棺などを置くのが支石墓である。
3 志登神社(式内)・・・いにしえは糸島半島はほんとの島でして、この神社の前あたりは港であったという。ここからは筑前の「カミナビ山」として有名な「可也山」(かやさん)で、おそらく可也山目指してやってきた船が、入り江に入って停泊する直前に、江上から拝礼する形であったらしい。ここの絵馬はオモシロそうなのがいくつかあったです。
←水田部は干拓地。左下あたりに鳥居あるです。ここでは一人でゲートボールの練習しているおじさんがいて、強く打つ練習をしておられてコワかった。
←右側が「可也山」。筑前富士、小富士ともいう。「伽耶(かや)」ではないかという説もあります。あの山の麓あたりまで海だったのだよ。
4 志摩町歴史資料館・・・「古代人はともだち」のノリさえ無ければいい資料館だと思うのですが、このノリがすべてをぶちこわしにしている感じあったです。倭人伝の「文身」を「ボディーペンティング」と記していますが、学芸員さんは罪悪感無いんですか・・・。
5 桜井神社・・・慶長15年(1610)、突如として開いた「天岩戸」を祀る。祭神は与止日女神。近くに浦姫神社あり。これは桜井神社の近所で、未来のことを予言する能力を得た女性を祀ったもの。黒田騒動のときに藩の無事を予言したらしい。
←この楼門、及び奥の拝殿は県指定文化財。正月三が日は「岩戸」にも入れるらしい。
6 筑前二見ケ浦
←注連縄は五月に張り替えるそうです。伊勢二見のは伊勢湾方向(海岸から見て東)ですが、これは海岸から見て西にあるので、夏至のころの夕陽が沈むころが見ごろだそうです。
ほかにもいくつか神社行ったですが、オモシロかったです。久米皇子の墓とか芥屋の大門、姫島、船越、御床松原など今回回れなかったものも多い。ちなみに、今日はずいぶん歩いた。久しぶりでアタマよくなった気がするぐらい歩いた。これでも吉田松陰や藤田東湖にはまったく敵わないのですが・・・。

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