肝冷斎観タマ記20−2(2月7日〜9日)  表紙へ戻る  観タマ記19−30に戻る

←日差しがあると暑いでした。

平成19年 2月 7日(木)〜9日(土)  表紙へ     
飛行機に乗って沖縄に行きました。沖縄には行きたかったのですが、飛行機には乗りたくなかったのであるが、やきうを観に行くんだから飛行機に乗るのも仕方ないことなのだ、と自分に言い聞かせて行ったです。なお、地元在住のA氏、S氏にたいへんお世話になったものである。
以下、やきうに関係ないものも地タマ・水タマなど同じタマのことであるので記述する。地タマ、水タマ、木タマなど自然的タマの威力すごい土地柄であり、見るべきものがあった。
7日 
沖縄市営球場(広島東洋カープキャンプ地)
S氏の案内により視察する。佐々岡氏、鈴木球団本部長の姿も見かけた。喜田剛、梵、石原のフリー打撃観る。
←倉選手会長を鍛えていた。
勝連城
かっこよかったです。夜来るとコワそうでした。

8日 
玉殿(たまうどぅん)
かっこいい名まえなので行ったです。王家の廟だと思うとしもじもが拝観していいのか、という気持ちになってくるのですが、沖縄戦の後で遺骨等は別のところに移したということなので大丈夫でしょう。

一中健児の碑
碑のところで草刈していたおじさんに連れられて展示も見る。旧県立一中(現在の首里高)の同窓会の施設ですが、沖縄戦における鉄血勤皇隊で亡くなったひとたちの遺書・遺品の展示であった。さすがにつらくなってきてすべてはよう読まんかったです。

宜野湾球場(横浜ベイスターズキャンプ地)
実戦形式の練習をしていた。さすがに(カープに比べ)頭脳的だと感じられた。また、佐伯と石井豕のランチ特打を観たが、飛距離がすばらしかった。昨日のカープの三人は何だったのか、と思った。
←一死一塁または一死二塁で試合形式でやっていた。さすがは頭脳的だ。
北谷球場(中日ドラゴンズキャンプ地)
ドラゴンズは観客も報道陣も多かった。球場外でファウルボール拾ってポケットに隠したが、係りのひとが来て執拗に探していたので、三回目に目が合ったときにしかたなく返した。「ありがとうございます」と言っていた。ドラごんずは選手の給料が上がりまくり(何でドラの主力はあんなにカネの亡者、ないしはそのふりをしているひとたちばかりなのだろう。川上や井端の発言聞いているとこれがグランドに立っているあのすばらしい選手と同一人物なのか、と疑ってしまうです)だし、スコアラーや裏方さんを大量に雇っているから、練習用ボール一個失くしてもお仕置きされるぐらいお金が無いのでしょう。何となくあわれを感じた。
選手やコーチはみな気合入っていて、緊張感あふれていた。監督も含めてにやにやしてばかりいたカープとは違うものを感じた。
←金の亡者たち。森野の飛距離すばらしかった。
読谷平和の森球場(中日ドラゴンズ二軍キャンプ地)
二軍らしい観客数だった。
←ばんとの練習中
座喜味城・読谷民俗資料館
城の石塁の曲面すばらしかったです。資料館もよかったです。やきものすばらしかったです。

名護城・名護郷土博物館
名護城の桜はもう散っておりました。博物館すばらしかった。カジマヤーするとパレードする。程順則聖人の銅像あった。

名護球場(北海道日本ハムファイターズキャンプ地)
今日は休み。もう夕方だったし。
←名護にあるファイターズの碑。パリーグ、ニホンしりーず、アジアしりーず三冠達成の記念。

9日
国頭球場(北海道日本ハムファイターズ二軍キャンプ地)
キャッチボールしていた。そこそこファソが来ていた。TDNは東京で治療中だからいない。

金剛石林山
見せてもらって変なこといいますが、国定公園のど真ん中、しかもアマミキヨの聖地・・・をこんなふうに見せていてもいいのか、と疑問は持ったです。五月以降また拡大するらしいが・・・。

辺土岬
あらしと化してきたです。このあと国頭の東海岸回って那覇に戻った。
←風雨にかすんでいるのが江戸御嶽。アマミキヨさまが天から降りられたところ。
波上宮
沖縄一宮。主祭神はイザナミさま。明治天皇の銅像あった。茨城にあったのと同じやつです。近所の護国寺にも石碑のいいのがあった。

今回は以上。東京ヤクルト(浦添)も観たかったが時間不足。半チソは知らん。きもち悪い。
←ゆいゆい。

次へ