フィールドワーク録19−4 (起:平成30年11月16日(金))  目次へ  平成30年3月〜11月中旬へ

なんかいいことある、と思われます。おみくじもまずまずだったし。

11月16日(金)・17日(土)

スカイマークの一番安い便を使って、うちなーに来ました。以前絵を指導いただいた先生の個展があるので、お土産にしうまい持って観に来たんです。

行きがけの駄賃的に

〇三文殊(さんもうじ) ・・・ 那覇・旧辻にある「毛」(モー)。程準則、蔡温、山田親雲上の三賢者が集まって議論しあったので「文殊のような知恵者三人が集まった場所」というのが名の起こりなんだそうです。

〇波上宮 ・・・ おみくじ引いたらよかった。さあ、勇気を出して生きていこう。

〇美里のビジュル、イジュガー ・・・ バスに乗り込んでどこか行きつくまで行こう、と思いましたが、腹減ってきたので美里で降りて歩いてみる。「ビジュル」は「びんづる」です。沖縄のは石を祀る。「イジュガー」は「泉川」、村落の水汲み場であった。

「美里」は「んさと」と呼ばれたようである。

〇尚宣威王の墓 ・・・ 尚宣威王は第二尚王朝第二代の王、ということになります。初代が亡くなったあと、弟で越来領主であった宣威王が位を継いだのだが、王宮の女神官どもこれに異を唱え、ついに数か月にして位を退き、領地の越来間切に戻って卒したという。その墓が保存されてあるのは初めて知った。(・・・ような気がしたが、以前越来城に来たときに寄ったかも)

こんな階段を昇るんです。以前昇ったような気もする。

左の崖にいくつか穴があって(今は塞がれている)それがお墓。

〇天岩戸遺跡 ・・・ 昭和27年に八重島の地に大国みろく神が現れたといい、その神を祀るのが八重島のみろく社であるが、その裏山に天岩戸と伝えられるガマあり。台風被害で一部入れないところもあるようですが、これはすばらしかった。夜来たら一夜にして白髪になってしまうぐらい神威ビシビシたるものがあるであろう。

大国みろく社。背後の山が琉球石灰岩よりなっている。

この奥がガマになっており、崖の上は越来・美里さらに金武や勝連の海まで望める拝所になっておる。

〇山川さやか個展 「めざめ」 ・・・ 那覇に戻って観覧させていただく。解釈してはいけないんです。ゲンダイ美術なので。しかしこのひとの絵があるところは、不思議に明るくなりますよ。個展は明日18日までじゃ。

大きな絵が多かったんですが、最近は一般の家に飾れるような大きさのものを手掛けておられる。

11月18日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・

都内二か所見学。さすがに昨日沖縄にいた身からすると寒い。

〇文京ふるさと歴史館 ・・・ 「猫の細道さんぽ道」という企画展なので名前に魅かれて来てしまう。写真右の方で足を広げている「クロちゃん」が文京区のいろんな文化財を案内してくれる、という趣向でしたのニャ。

〇港区立匈奴歴史館 ・・・ 11月1日に開館した、というので、資料館マニアとしてはもだしがたく、行ってまいりました。旧公衆衛生院の建物を使って(公衆衛生院がロックフェラー財団の補助で出来たのをはじめて知った)、なかなか濃密な展示空間になっておった。

公衆衛生院は昭和13年(1938)竣工。設計者は東京帝大教授・内田祥三。安田講堂などを手掛け「内田ゴシック」といわれる様式で名高い。

玄関前列柱。凝ってますね。

玄関を入ってすぐの中央広間の吹き抜け構造。日本建築史上名高いものらしい。

旧構造物を利用しているので、展示室は多数の小さめの部屋がなっています。これは右の方に勝海舟像があるので、旗本・御家人の世界のコーナーだと思います。二階で開館記念の特別展「港区指定文化財――悠久の旅人―ー」が開催されていたが(写真撮ると怒られそうなので撮りません)、泉岳寺蔵の加藤信清「観音蓮舟図」(細かく書いた経文を線とした仏画)など目を瞠るものありました。眼福、眼福。

東京湾内湾の海面利用の変化やかつて白金台などに多かった町工場関係の資料も面白かったが、最後のコーナーは都電。都電オモシロくて好きなんですが、子どもたちへの学習という意味では、もう意味がないのカモ。

最後に旧公衆衛生院講堂。340人収容とのことですが、「椅子は使えません」と書いてありました。

オリジナルグッヅがかなり力入っていましたよ。

11月24日〜25日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

沖縄でのぼせあがった頭を冷やして来い! というので、長岡から六十里越を敢行し、只見から桧枝岐に至った。

今週までは大丈夫のはず・・・と聞いていたのですが、23日に雪が降ったそうで、雪の六十里越となった。スタッドレスタイヤお願いしていたよかったなー。

〇只見ブナと川のミュージアム

只見町ブナと川の博物館。自然誌的にもオモシロかったが、山中生活の民俗と、只見川水源開発関係の展示があり、勉強になった。

クマー。

〇河井継之助記念館 ・・・ 河井継之助の亡くなった部屋を移築してある。

ちょっと「司馬遼太郎記念館」的なものであった。併設の山塩博物館がオモシロかった。

ここまでは11月下旬でも開けてくれていたんですが、それ以外の「文化施設」は楽しみにしていた会津只見考古館も含めもう軒並み閉館。窪田遺跡もブルーシートかぶせてあった。トイレまで閉めてあるのでたいへんでした。

〇桧枝岐に到着。

山人(やもーど)料理を食う。サンショウウオのから揚げ含め食いまくった。

住宅とお墓の間に間隔の無いつくりになっています。この六地蔵は悲しい物語もあるのである。

縁切り縁繋ぎしおばんばの横を通って鎮守神社へ。裏手は磐座っぽくなっている。神社社殿に上がるまで階段状の「座席」になっているのは、こちら側に「歌舞伎小屋」があるからである。

神社社殿側から見下ろす。右側の杉に半分隠れているのが有形重要文化財の歌舞伎小屋。年三回、「桧枝岐歌舞伎」が演じられる。

桧枝岐の一番奥「ミニ尾瀬公園」(もちろん閉園中)前に立つ「尾瀬大納言」像。落人伝説中のひとであるのじゃ。

国指定史跡・久川城跡。戦国山城の一典型で、伊南川を見下ろすすばらしい場所にある。縄張りが見事に遺り、これは行く価値あり。転ぶなどして筋肉痛いが。

田野倉湖(田野倉ダム)。すばらしい景色であった。「辺境」「落人」「ダム立ち退き」などの悲哀のイメージで来てみたんですが、もうだいたい普通な過疎地でした。夏場に来て民俗資料館を見たいものだが・・・。

12月1日(土)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

都内で知的に暮らしましたのじゃ。

〇国立科学博物館「日本を変えた千の技術展」 ・・・ いろんな分野をまとめて、この150年の流れを展示しているもの。全体はちょっと浅はかすぎる感じもありますが、コラム的な部分はオモシロく、小松ブルドーザー一号機の話とか興味深かった。

明治末に輸入された電気自動車(米国製)。当時の米国では約三割が電気自動車であったという。

有機化学コーナー。真島利行は「としゆき」だったそうですが、年寄りと思われるのがイヤで「利巧」の「りこう」とサインしていたという。

〇国立公文書館「つながる日本、つながる世界 明治の情報通信」展 ・・・ 郵便・電話・無線通信などの明治期の制度、開拓者たちを紹介。実によく出来ていて、明治二年から日露戦争終了後、世界の一等国へと飛躍していく日本の姿が垣間見える。大北電信との葛藤など、子供だましではない、ほんま大人の歴史やで。

「〒」マークが一瞬だけ「丁」マークだった、というのがわかる明治の公文書が、当時のひとたちの朱書きのままで展示されてるんです。これを判断して書いて、あわあわと書き直していた人たちがいたんだ、ということがわかる。

12月2日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

縁故車で埼玉県寄居町へ。

〇埼玉県立川の博物館 ・・・ 荒川水系についてのミュージアムです。でかい水車や1000分の一荒川模型などが有名。

この巨大水車は解体されるというウワサである。展示内容など案外面白いんですが、写真撮れないんで紹介できません。

〇鉢形城址・鉢形城歴史館 ・・・ 足利時代に長尾景治によって築かれ、後北条の重要支城となり、三増峠の合戦においては武田信玄相手に籠城戦に成功、秀吉の関東攻めに当たっては北國軍を迎え撃って三か月落ちなかった(兵士の助命を条件に開城)という、戦国史上屈指の名城である。

すごく広いんで、まず明るいうちに本丸曲輪へ。この台地状部分が本丸曲輪。その向こう側はもう荒川河崖である。

本丸曲輪から伝御殿曲輪に降りる途中にある田山花袋詩碑。田山が若いころにこの地に来て作った詩だそうであるが、立碑自体は昭和二十九年とのこと。

襟帯山河好、 山河の好しきを襟帯し、

雄視関八州。 関八州を雄視しき。

古城跡空在、 古城の跡、空しく在るも、

一水尚東流。 一水はなお東に流る。

たいへんよろしい山と川をぐるりとめぐらせて、

関東八か国をぎろぎろ睨み据える場所であった。

古い城は、あとだけとどめてむなしく遺されているのだが、

一本の川(荒川)は今も東に向かって流れている。

と書いてありました。

三の曲輪虎口を望む。門の裏手には後北条特有の四角い馬出空間がある。左手の木立のあたりは櫓があったと推定されている。

大手付近の諏訪神社。江戸時代に鉢形廃城後も神社は祀り続けられたのであるという。

12月9日(日)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

伊勢原に一泊して式内・大山阿夫利神社へ。三十年近く前に、亡くなったYAと一緒に下社まで来て、上社はそのとき宿題になったような気がしたので、それを果たしに来たつもり・・・。

大山阿夫利下社。ここまでは三十年前にもケーブルカーでなんとか。今回もここで止めておけばよかったんですが・・・。

こんな登山だと知っていたら行かなかったんですが、やけくそ的に山頂の大山阿夫利上社へ。標高差500mを昇るのはでぶにはツラかった。途中、夫婦杉、天狗岩、ぼたん岩などありましたが、ほとんど鑑賞のゆとりなし。

左側のが神木・雨降木だそうです。この方向には三浦半島、房総半島、右手には伊豆半島、左手には関東平野がすべて見渡せ、東京に高層ビルが林立しているのや筑波山まで見えた。富士山は雲で見えなかった。

その雲が雪になって風花ちらついてきた。豚汁食って下る。下りもツラかった。永遠に降り切れないかと思うぐらい。

下りは下社から下もケーブルカー代をけちって「女坂」を下る。これがまたきつかった。途中に大山寺あり。開帳日ということで、内院のお参りさせていただく。初代・高村光雲の不動像など、ありがたや。

「女坂七不思議」をたどりつつ降りる。これは下から二番目の「子育て地蔵」。はじめは普通の地蔵さんだったのに、いつの間にか童子の顔に変化したという・・・。

こちらはケーブル駅近くの茶湯寺。釈迦涅槃木像があるそうです。

とにかく疲れました。足の筋肉痛い。これでは明日会社に行けるはずがない。すばらしい景観、登山の喜び、豚汁美味い、などのすばらしさもあるが、おそらくは今の身体では、二度と行けますまい。

 

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