フィールドワーク録16 (起:平成27年1月2日(金))  目次へ  平成27年3月〜12月へ

←おらと一緒にお浄土さ行ぐだ!

1月2日(金)

平家落人伝説の地、志摩の八ケ竈へ。

○道行竈

○大方竈 ・・・ 八ケ竈八幡神社

←毎年(今は2年に一回)八ケ竈の代表が集まって、ここの拝殿で共通の古文書(平維盛の子孫であるという系図を含む)を読み合わせるという大方の八幡神社。

←同社の数か所にあった特異なしめ縄。

○小方竈

○栃木竈

○新桑竈(さらくわがま)

○棚橋竈

六つしかありませんが、一は安政津波で滅村、もう一つの相賀竈は確認できず。

1月3日(土)

伊賀郡式内社調査(第一次)

○猪田神社(下郡)

←「下郡」の字名はかつての律令・伊賀郡衙跡を指す。当社社殿は天正伊賀の乱(1581)のときに織田軍に焼き払われ、慶長九年(1604)山出の小天狗清蔵という者が再建したものという。

○猪田神社(猪田)

式内論社ということであったが、同じ神体山の東麓と北麓にあり、同じ神社とみてよいのではないか。なお、猪田の猪田神社には、

・磐座

・円墳?

・真名井(古代井戸)

あり。

←参道より。実に神さびた神社でござった。奥に磐座、左手を入っていくと真名井へ。

○依古那神社

その後、伊賀上野産業城、忍者博物館を観覧。忍者屋敷は約40数年ぶりに行ってみたが、こんなに狭い屋敷だったかと感心?した。

1月10日(土)〜12日(月)

奄美大島調査中!

戸口でおばあにホントに追いかけられたが、それ以外は温暖で快適!

←戸口の明王堂。おそらくここが以前厳島神社であったところで、さらに以前、行盛神社が現在地に移転する前の聖地「ムイ」(森)であったと推定される。

○瀬戸内町郷土館 ・・・ 加計呂麻の寄人、西家、武家の文化財などをチェック。

○加計呂麻島へ

・実久三次郎神社 ・・・ 為朝の落胤であるという怪力の巨人・実久三次郎及び為朝を祀る。境内に三次郎の墓、そのおふくろ(実久ナベシリカナ)の墓あり。

←実久神社。鳥居は海の方を向いている。

←実久の海その1。

←実久の海その2。おそらく腰あてと思われる山をどんどん昇っていくとこんな景色になって、その先には・・・

・旧日本軍監視所、兵舎跡 ・・・ こんなものがのこっているのだなあ。

←これは兵舎跡の方。中にも入れるよ。

・阿多地 ・・・ アシャゲ見学の後、海岸散策

←阿多地の海岸より落陽を望む。左下は与路島と思われる。

○住用

・マングローブ館

・石原城 ・・・ 室町末〜江戸初期ごろの山城という。頂上にマングローブ原生林展望台あり。

○田中一村記念館

奄美ちゃんまた来ます。

1月17日〜18日

日常の恐怖から逃れるために今週も調査中。

○熱川ワニバナナ園

○延喜式内社観察

・志理太乎宜(しりたおき)神社・・・片瀬に坐。「三宅記」にも出てくる三宅の神様ですね。

・見高神社 ・・・河津町今井浜に坐。裏手丘上には段フ遺跡あり。縄文時代の集落跡地で、神津島の黒曜石を荷揚げ・集配した場所とされる。(なお今井浜には琴波神社といういいのもあったし、竜宮伝説もあるよし)

←このあたりが竜宮伝説の地。

・河津来宮神社 ・・・河津町に坐。巨大なるクスノキあり(国指定天然記念物)。ちょっと息を呑むでかさ。

その後、路線バスにて天城越え、修善寺に降りた。

2月1日

○武蔵五日市調査

・阿伎留神社 ・・・ 畔切神社とも。延喜式内。延喜時代より鎮座地に変化なしという。

←寒い地域なので、先週の雪がまだ残っておりました。

←社殿左裏に地下に降りられる石段があり、その底に井戸が(左端には水神祠と思われる小祠あり)。マイマイズ井戸みたいに地下に水源が掘られていたのである。

←社殿裏の「聖なる空間」。このような小祠が多数あり、神聖な空気が張りつめていた。

・五日市郷土館 ・・・ 平成24年両陛下行幸あり、という。ミエゾウ、萩原タケ(日赤看護婦総監、ナイチンゲール章受章者)、五日市憲法草案、その他民俗関係。じじい来て、小さいころ「唐箕」を使っていたとのこと。「そうか、これ、トウミというのか」と言っていたので、民俗用語があったようだが、確認するのを忘れた。

←雑然と農具が並べられている。真ん中あたりに唐箕あり。その前あたりでじじいに声をかけられたのだ。

←萩原タケ・コーナー。日清戦争・北清事変・日露戦争に従軍、明治三陸津波救護などの経歴。日赤と陸軍が表裏の関係であったこともわかる。なお明治中期の日赤看護学校の学生の給料が小学校の教員の数倍であったこともわかった。「タケさんは器量よしで・・・」との記述あり、「はあ?これで?」と思ったがよくよく同じ写真に写っているほかの看護婦さんと比べると、たしかに・・・。

このほか、子生神社、五日市憲法の碑、地酒・喜正蔵元などあり。

2月8日

上総の古墳群を視察。

○木更津長須賀古墳群

・木更津市郷土博物館「きんのすず」 ・・・ 上総掘り、藤原式揚水機には感動!

・旧安西家住宅 

・金鈴塚古墳

○市原市姉崎古墳群

・姉崎神社(延喜式内)・・・境内に御社古墳・御社2号古墳・御社3号古墳あり。2号は富士塚。日本武尊白浪御上覧地の碑あり。袖師の浜が遠く望まる。ご神水旨し。

←雨中の姉崎神社。国造家の巨大古墳が律令制下で国幣神社に移行していく、その典型例的神社である。

・釈迦山古墳 ・・・ すぐそばまで開発されているが、それでも神さびてコワい雰囲気あり。脇に海上家墓所あり。海上家は上海上国造(うえつうなかみくにのみやつこ)の後裔ということでいいのかな?

・鶴窪古墳 ・・・ 丘陵上にあり。久留里方面から見えたはず。

・堰頭古墳 ・・・ 林中にありて明確ならず

・六孫王原古墳 ・・・ 研究史上に名高い前方後方墳。

前方後方墳は東海王権の関係地に造られるものであったとか云々。畿内系より遅れて前方後円墳がゆるされるらしい。(わたしが言っているのではなく白石太一郎先生が言っているのである(はず)(白石太一郎「東国の古墳と古代史」(2007学生社)による)。

・天神山古墳 ・・・ 前方後円墳。養老川左岸の丘陵端にあり。葺石でぴかぴかだったころには海や川から見えたはず。

後円部の頂から前方部を見渡す(建物は「天神社」の神殿)。右手は養老川の流域、右斜め前方はるかに東京湾が見える。

・二子塚古墳 ・・・ 天神山古墳から見下ろせるところにあり。やはり海や川から見えたはず。墳墓上から火の出ているかっこいい煙突が見えた。

二子塚後円部にあった小祠。なにごとのおはしますかはしらねども手を合はせたてまつる。

2月11日(水)建国記念の日

逗子へ

○六代御前の墓

○逗子郷土資料館

○長柄桜山古墳群 ・・・ 平成11年、アマチュア考古ファンのおっさんが逗子・葉山の境にある尾根筋でハニワを発見してしまい、「ここは古墳ではないか」というので教育委員会が掘ったら埋葬施設も出てきた。さらにアマチュアのひとが「尾根のこちらにも前方後円墳っぽいのがある」と言うので「そんなはずあるものか」と言いながら掘ったら葺石とハニワが発見された。これまで関東では想像もされなかった標高100メートル超の山上に、原地形を利用しながら墳長100メートル近い前方後円墳が発見されましたので大騒ぎになって、平成21年に国指定史跡になった、というイワクのある古墳群である。

被埋葬者は推測でしかないが、文献史料で鎌倉地域を治めていたとされる「鎌倉の君」の祖先であったのであろう。

2号墳はおそらく江の島方面から、そのピカピカの葺石が西日に当たって見えたであろう。1号墳の方は田越川から見上げることができたにちがいない。相模湾航行船舶から見えるランドマークだったんです。

1号墳、後円部を見上げる。

2号墳、前方部から後円部を見渡す。ここから回れ右をすると・・・

逗子の海が見下ろされる。中央やや右手に江の島。そのかなた、晴れていれば富士山が見えるはず。

←逆に逗子海岸から見上げた。山稜中央のやや右、木々が薄くなっているところが2号墳の前方部。

○逗子海岸 ・・・「太陽の季節」碑あり。

「太陽の季節ここに始まる」と石原慎太郎さんの字なのですが、左上に引っ付いているのはもちろん岡本太郎さんの太陽。

←赤い夕日よ燃えおちて、海へ流れてどこへゆ〜く〜

2月15日(日)

頭痛を押して大宮へ。明日からの平日への恐怖のため家で休んでいることができないのだ。

○茶堂 ・・・ 観音堂であるが、家康さまにお茶を薦めたことがある、というので「茶堂」というそうです。化政期に「天下一ぼろ師匠、かなも読みわかず」と自ら宣した儀明和尚が寺子屋を開いていたので名高いそうです。

○足立神社 ・・・ 式内・足立神社、ということになっております。実際は江戸時代までは式内・足立神社に比定されていたのは附近の植田谷本にあった豪農・小島家の屋敷内の神社で、また近くの水波田の地にも足立神社という社名の祠があったよし。これらが明治期にそれまで「氷川神社」であった現在の足立神社に合祀され「式内社・足立神社」と認定されているもの。

○側ケ谷戸古墳群 ・・・ 別に古墳探しがメインなわけではないのですが、式内社を訪れると近くに古墳がセットで見つかることが多いのでしようがありません。さいたま市の紹介用の絵地図がわかりにくいので往生しました。鴨川(※)東岸沿いにある古墳群のうち、茶臼山古墳、稲荷塚古墳、台耕地稲荷塚古墳は確認。県南部最大の稲荷山古墳を含みますが、みな6〜7世紀の円墳なので、国造レベルの豪族ではないのでしょう。あとのはこの絵地図では探すのムリ。

※「カモ」は河川に沿った長い谷筋をあらわす海人族の地形語である。

2月22日(日)

○北谷町 → こちらを見よ

3月1日(日)

○サントリー美術館 ・・・ 六本木ミッドタウンに行くのは人間的のみならず服的にもたいへん気が引けたが、がんばって出かけて「仁阿彌道八展」を見て来ました。

3月7日(土)

○深見神社 ・・・ 式内。神奈川県大和市にあり。もとくらおかみの神を祀ったようであるが、江戸時代後半から鹿島さま(たけみなかたのかみ)に。くらおかみの神は稲荷さまとして域内に祀られる。「祈祷料六千円以上」という看板が数か所あり、意図が計り知れない。

3月21日(土)

所用で平塚に行ったついでに、

○平塚八幡宮 ・・・ うるさいアヒルが大量に寄ってくる。凄みのあるでかいのもいた。人形供養中。
←くそアヒルども。

○平塚博物館 ・・・ 相模川流域を総合的に展示する。

○神明社 ・・・ 平塚宿の鎮守社。祈っているおやじあり。

○馬入の渡し跡
←相模川。このあたりが馬入の渡し舟の航路という。

4月11日(土)

○山口観音 ・・・ 今日は鐘もついてきた(一回100円)。

○北野天神社 ・・・ 小手指にあり。式内(入間五社の一)。航空神社などもあり。さくらの花びらが散って、雪のように積もっていて、感動的であった。
@天神社にA物部天神社(祭神:櫛玉饒速日命)、B国渭地祇神社(祭神:八千矛命)を併せ祀る。AとBが式内。
さくら花散りかいくもれ老いらくの来むといふなる道まがふがに(古今・賀・業平)

4月12日(日)

○笹目神社 ・・・ 戸田・笹目にあり。明治以前は「聖社」(ひじりさま)と呼ばれていたよし。高さ・長さ1メートルの神馬像がある、という。

5月5日(火)

○談山神社 ・・・ 裏の談(かたらい)山、御破裂山にも登ってきました。談山は乙巳の変の前に中大兄と中臣鎌足が謀議した山である、といい、御破裂山は藤原鎌足陵ということになっている。

6月13日(土)

○官軍修墓 ・・・ こちらの帰りにフラフラ歩いていったら、こんなところにこんなものがあったのか、と少しく驚いた。横須賀市・追浜と田浦の間のトンネル上に碑と四十八の簡単な墓石あり。西南役に従事した官軍兵士のうち傷病兵は軍艦に分乗して引き揚げてさせたが、この船中でコレラが発生し、浦賀近くの海上で多くの兵士が亡くなった。そのうち遺族の明らかでないもの四十八人を葬ったもの。はじめ今の横須賀港の方にあったらしいが、後に海軍用地となったのでこの地に移設したものだという。毎年四月に地元住民による墓前祭が行われるよし。墓石は今も「上等警邏・・・」とか「火夫小林・・・」などの文字が読み取れた。今度じっくり読み込んでみたいものである。

非礼かも知れぬと謝しつつ撮らせていただいたが、夜来たらマズい感じはひしひしとあり。→6月14日 よく見たらびっくりするようなモノが写っていたので、差し替えました。わたしのような者でもわかった。←差し替えたやつもマズいのでもう削除。

6月21日(日)

○昆陽神社 ・・・ 京成幕張駅前の火伏・秋葉神社。こちら側は秋葉神社の拝殿だが、奥のは昆陽神社。青木昆陽が小石川で種芋栽培に成功したのち、この「馬加村」(「ばかむら」?いや「まくわりむら」)で実用化したのだそうで、天明飢饉の時にはおかげで一人の餓死者も出すことなく、以来「芋神さま」として青木昆陽を祀るという。

この奥には「二十三夜講」「湯殿山」「月山」「富士講」などの碑が並んでいる。

7月5日(日)

○長崎神社 ・・・ 東長崎の。

夕暮近く、暗くてちょっとコワかった。若いおんなのひとが一人、一心に祈っておられた。彼女が救われますように。そしておいらも助けて。

7月16日(木)

すべてを清算しよう―――と、台風前日の東京湾へ(お台場海浜公園)。しかし波浪はほとんど無し。チュウゴクからの旅人かと思われる家族連れや、会社帰りのグループや、高校生や、たくさんいた。みんな明るかったので、こちらもにやにやと明るくなって無事帰ってきました。休みをとらせてやらないからどんどん清算したくなってくるんですよ、労務担当のみなさん。

もう二年間夏休み無いんです。今年も「無い」といわれて・・・。

7月18日(土)

○尾張総社国府宮神社

○石刀(いわと)神社

7月20日(月)

○度会郡・鴨神社

○津室神社

○幸神社

8月15日(土)

山野辺の道(の一部)を縦断。暑くて熱中化。左腿筋肉痛とも闘った。感動した。
○石上布留神宮

○夜止伎神社

○衾山古墳

○景行天皇陵(行燈山古墳)

○崇神天皇陵

○珠城古墳

○箸墓古墳

8月16日(日)

○久々津姫神社 ・・・ 式内社なり。

○徐福墓

新宮駅前の徐福公園。

門を入ると、

正面の小さめの石碑が「徐福の墓」(といっても天保年間に作られたもの)。向かって右隅の小さな石は徐福の七人の重臣の墓。左側の大きいのは徐福先生の事跡碑。

○新宮市立歴史民俗資料館

○阿須賀神社 ・・・ 裏の「蓬莱山」より大量の「御正体」(みしょうたい)が出土。蓬莱山からは弥生時代以来の住所あとなどが発見されているが、ここは熊野川の河口部にあたり、まさに弥生時代、秦の始皇帝の命を受けて四十九組の童男童女とともに東海の蓬莱島に向かった徐福の上陸地とも伝えられておる。

ちなみに「アスカ」の「スカ」はここでは「州処」と解されていたが、沖縄以北の海岸の「スカ」は「塩川」(スーガー)と思われますので念のため。
○花の窟神社

8月30日(日)

久しぶりで、○豊島区郷土資料館へ。闇市とか池袋モンパルナス、都電の勉強をした。

9月20日(日)

○松浦武四郎記念館 ・・・ 三重県松阪市にあり。松浦は蒲生氏郷、本居宣長とともに松阪市の三大英雄のよし。松浦が幕府に仕官していたとき以外何で食っていたかこれまで疑問であったが、出版業だったことがわかりました。それ以前の諸国放浪時代や江戸出府時代も意外と藤堂藩との関係があったか、など勘ぐってしまいますね。

9月21日(月)

○8月15日の続きを歩こうと山野辺の道を南から北行。

・茶臼山古墳

・磯城宮、海石榴市(つばいち)
志貴縣神社。崇神天皇磯城宮跡とされる。

古来の市場、歌垣であったという海石榴市(つばいち)付近。ヒガンバナ。

・大神神社 ・・・ 佐井神社脇から三輪山登山を敢行。辺津磐座、中津磐座、奥津磐座を参拝す。奥津磐座付近にて感動的なことが・・・。「お言わず禁忌」(山中で見たことを語ってはならないというタブー)があるのでこれ以上は言えませぬが、人生変わるか。とりあえずすごい筋肉痛い。
大神神社拝殿。拝礼の対象は三輪山。へびのかみさまということになっているので、ヘビの好物たる「タマゴ」がたくさん供えられている。宝物殿有り。見学す。
三輪神社近くの展望台から大和三山方面を望む。秋ですなあ。

9月22日(水)

これも久しぶりで○新宿区立歴史博物館へ。ムーランルージュとか武蔵野館とか勉強してきた。ムーランルージュの大スター「明日待子」、さてどう読む?

昭和の家。奥は都電。

10月10日(土)〜12日(月)

宮崎大調査中。(写真その他は別途アップ)

○野島神社 ・・・ 国道沿いにある神社であるが、おじい・おばあがゆんたくしながらおれを見張っていた(ような気がした)。
国道側からのファザード。裏山は亜熱帯植物が茂って、ウタキちっく。
境内のアコウ。
国道と民家を隔てて海岸べりにある「夫婦亀石」(ふくらんでいるあたり)
拝殿脇にある「子亀石」。
○潮嶽神社(しおのウタキ?) ・・・ 海幸彦(隼人族)を祀る。

この拝殿のほか、祖霊社あり、その奥には伊豆にあるような「三石」も・・・。

○外浦港 ・・・ 観光船乗船

外浦。船上から。
外浦の日の御崎神社。

○南郷有用植物園・トロピカルドーム
ジャングルを通り抜けて、外浦湾を展望す。
入場無料のトロピカルドーム(県の亜熱帯植物研究所)。
美味そう。美味いカモ。本格的に美味そう!

○榎原(ゆはら)神社

10月13日(火) ・・・ 福岡出張あり。

10月24日(土)

○大宮氷川神社

七五三軍団をはじめすごい数のひとがいた。

○埼玉県歴史と民俗の博物館 ・・・ 改装後はじめて入館。

わくわくちゅるぜ。企画展は「慈光寺展」。国宝・法華経一部経も展示あり。
さすがに土器とか埴輪、板碑の展示充実。

10月25日(日)

○東京大学附属小石川植物園 ・・・ 昨日の夜、木枯らし一号が吹いたというので、紅葉がはじまっているかと思って行ってみたが・・・。
紅葉はまだまだであった。紫苑。ムラサキシキブの小さな実がなっていたぜ。
○さいたま市立博物館 ・・・ ここも土器、ハニワ充実していた(有名なみみづく型土偶もあり)が、先月の大雨の関係で雨漏りがしたとのことで一部立ち入り禁止のコーナーあり。早く直してほしいものである。
2年ぶり2回目ぐらい?農家の再現。トウミなどもあり。

11月22日(日)

○伊勢平氏発祥の地(忠盛塚)

忠盛塚の碑。

○大山田郷土資料館

○敢国(あえくに)神社 ・・・ 伊賀一宮。

「党(くろんど)まつり」というものが行われていた。

11月23日(月)

○白子港 ・・・大黒屋光太夫出港の地として名高く、井上靖先生の詩碑があった。ネコ多数あり。伊勢平氏の水軍・白児党の根拠地にして、家康の渡航、吉宗の来地などで名高い。

白子港。白子の浜。

○伊勢型紙資料館(旧寺尾家)

○龍源寺 ・・・ 白隠禅師もお見えになったという。なお、寺が作られる前に神社あり、その神社の裏の竹から敦盛が吹いていたという「青葉の笛」が作られた・・・との伝説あり。伊勢平氏関係ならなんでもあり、という感じです。

山門。臨済宗。

○江島若宮八幡宮 ・・・ 白子港鎮守。江戸期以来の大量の絵馬あり。

旧寺尾家裏庭にありたるマンリョウ?の実。こんなに鮮やかに結ぶ実もあるのだ。人生においてそんな実を結ぼうとしているひともいるのだろうなあ。

11月28日(土)

○東洋文庫

モリソン文書文字の回廊

○六義園

11月29日(日)

○横浜人形の家 ・・・ ちょっとコワい系のうわさを聞いて行ったのですが、コワくなかったです。ああよかった。
こわくないとはいえ写真はケースのガラス面に映ったかげとかかなりびびる要素があるので、こけしだけにしておきます。

○マリンタワー ・・・ 新しくなってからはじめて行った。
マリンタワーの威容。むかしは階段で上り下りできて、これはコワかった。しかし今は階段は使えない。
港を見下ろす。

○港内クルーズ
海に出たかったので、船に乗ってきた。海上より見たるみなとみらい地区。
現役を退き、展示用に桟橋に繋留されている氷川丸。おいらも間もなく現役○くよ。

12月5日(土)

○永青文庫 ・・・ 「春画」展視察。意識高い系と思われる若い男女が多数。なんかいろいろ批評しながら見ていたので、失笑するところもあった。大英博物館で高く評価された展覧会なのだそうですが、日本国内では「春画展開催実行委員会」があちこちに当たって断られ、やっと永青文庫が場所を提供した、という展覧会。「18歳以下入場禁止」とマジメに書いてあった。

永青文庫。修復後はじめて来た。壁が白くなってました。中身はナイショ。うっしっし。

○野間記念美術館

○正八幡神社 ・・・ 江戸橋あたりは江戸と練馬を結ぶ街道筋だったんだそうです。
かなりもみじが印象的。すばらしい。
今日の青空。明日も晴れやかな日でありますように。明後日は平日だからもうダメだが。

12月6日(日)

○本日は西郷隆盛生誕188年祭とのこと。

上野公園にて。黄色いのはTPP反対?のむしろ旗ではなく鹿児島県人会連合が西郷隆盛生誕祭の旗を立てて祝っているのである。

○かつしかシンフォニーヒルズの葛飾フィルハーモニー管弦楽団第50回定期演奏会にて、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より前奏曲、並びにべーとーべん氏の交響曲第九番を拝聴す。よかったです。

シンフォニーヒルズ前のモーツァルト像。第九聞いてなんだか豊かなキモチになったようなキモチで高砂あたりの川べりを歩く。・・・しかしだんだん、世界がなんにも変わっちゃいないことに気がついてきた。明日は月曜日だ・・・。

○十条神社

12月13日(日)

鎌倉行った。

○銭洗弁天 ・・・ 20年ぶりぐらいか。

沖縄のウタキチック。

○日野俊基廟所、葛原岡神社 ・・・ 葛原岡神社は祭神が忠臣・日野俊基なのだが「縁結び」の神ということになっており、「男女石」なるものが祀られていた。一人旅の女性が次々と来て祈っておられた。

日野俊基墓。葛原岡神社。女性の一人客が多い。みんなおみくじひいている。右が男石、左が女石、とのこと。

○源氏山公園(頼朝像)

頼朝公座像。治承四年の青年時代のもの、らしい。付近紅葉多し。

化粧坂を降りた。

○海蔵寺

左手ずっと行くと十六井。薬師如来堂や宇賀神像など興味を惹くものも多いが、紅葉の寺として有名(らしい)。鐘楼。紅葉が美しいぜ。山門脇に「底脱の井」あり。井戸の底が抜けているのではなくて、ここで水汲んだときにひしゃくの底がぬけていたので、それによって大悟した修行者の伝説による。

雨もときおり当たるので早めに帰京。

○根津美術館を訪問。この美術館が新橋にあったころは肝冷斎も20〜30台でシゴトきつく、毎土曜日訪れて救いを求めていたものであったなあ。

今は裏に広大な庭がある美術館となった。

12月19日(土)

○宗像大社

12月20日(日)

○横浜市大倉山記念館 ・・・ 内部が相当複雑であった。ガラスファミリー展見る。

ギリシア建築風の外見。上階の黄金色の光は外光である。

○綱島神社 ・・・ 綱島街道沿いに石段あり。昇ってみると・・・。

こんな石段がある。それなりに名所らしく、わたしの後からも「何があるんだろうね」と言いながら三組も昇ってきた。

昇ると、白木の鳥居の向こうに「神明社」という石が立っているだけである。鳥居の左手に小さな碑があり、昭和十年にこの地が「新横浜四十五景」に選ばれたことが記されていた。そのころ、ここには何かがあったのであろう。

12月23日(水)

天皇誕生日でお休みだったので、皇居に一般参賀に行ってまいりました。

寒いので今年はちょっと少ないカモ。陛下のおことばも短めでした。

ついでに江戸城観光。←伏見櫓。二重橋の一重目から見る。←本丸富士見櫓。明暦大火後は天守閣の代わりであった。内桜田門脇から本丸方面を望む。

そのあと、最近お気に入りのショウペンハウアー先生を読みながらシウマイ弁当食って

○神奈川県生命の星・地球博物館へ。

若いころどうしようもなく暗黒の鬱鬱ごころを抱えて、日曜日ごとにここに来て、巨大昆虫の標本などに見入っていたものである。今また鬱鬱として久しぶりで来てみた。

小雨降りそぼつ中、到着。
ムシ。ムシ。もう二十年以上かわらぬたたずまい。

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12月26日〜27日

八丈島探査

昨夜出た船の上から夜明けを。祝福されているカモ?

○うらみの滝 ・・・ 一年分の「うらみ」を籠めて・・・と思ったのだが、「裏見の滝」でした。

上の方から流れ落ちている。裏へ回った。すばらしい。

○為朝神社(裏見の滝)・・・滝の近くにある。

この玉石の階段を昇って行くのはかなり命がけ。石段の上には石室に為朝さま像が祀られてあった。

さらに裏手にオイベらしきものあり。

○優婆夷宝明社 ・・・ 母子交合型始祖伝説を伴う式内社。

集落の中にあってあたたかい。

○丹那婆の墓 ・・・ 丹那婆(たなば)は始祖のおふくろの方。お墓は明治時代にできたものという。

○三島神社(樫立)・・・不思議な場であった。多数の石室あり。

左手の方、石室と石板が大量に。

○郷土資料館 ・・・ おいらの知っている郷土資料館中屈指の出来。質量ともに。

○ふるさと村

○為朝神社(大賀・大里)・・・海に向って建っていた。

背後の崖の上に城があったとかなんとか。

○護神神社 ・・・天照大神、為朝さま、牛頭天王などを祀る。玉石石段、石室多数あり。島酒の碑も。

←八丈富士。17世紀初頭、宇喜多秀家が流されてきたころまでは噴いていたらしい。

12月30日(水)

三重県旧安濃郡の神社めぐり。

○結城神社 ・・・ 結城宗弘を祀る。旧官幣社。

○香良洲神社 ・・・ 天照大御神の妹神・稚日神(わかひるめのかみ)を祀る。

○香良洲公園 ・・・ 江戸時代の「焼き出の浜」跡地とのこと。三重海軍航空隊予科練習生慰霊碑などあり。

○加良比乃神社 ・・・ 式内・からひの神社。元伊勢の一つ、ヤマトヒメさまが天照大御神を奉って四年間滞在した「阿佐加藤方片樋宮」(あさかふじかたかたひのみや)に比定される。

 

今年のフィールドワークはこれでおしまい。

 

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