令和2年7月31日(金)  目次へ  前回に戻る

七月も終わり。カッパ「いつまでもおとなしくしているわれらではないカッパ。そろそろ人間どものシリコダマをいただくでカッパ!」アズキアライ「あーずきあらいましょっか、ひと取って食おっか。ひっひっひっひ」肝冷斎「シゴトはもちろん人生からもバックレてやるぜ」

コロナがどんどん増えています。少しづつ重症者も増えているようです。

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むかしむかし、紀元前五世紀の後半から紀元前四世紀の初め頃のことでございます。

巫馬子(ふば・し)が墨子先生に言った。

子之為義也、人不見助而、鬼不見富而。子為之有狂疾。

子の義を為すや、人は而(なんじ)を助くるを見ず、鬼は而を富ませるを見ず。子、これを為すに狂疾有らん。

「先生が正義を行うためにハタラいているとき、人間があなたを助けているのを見たことがありません。精霊があなたに幸福を与えているのを見たこともありません。それなのに正義を行おうとするとは、先生はどこかアタマの病気なのではございませんか?」

直球の質問ですね。

墨子先生がおっしゃった。

今使子有二臣於此。

今、子をしてここに二臣有らしめん。

「仮に、あなたに二人の下僕がいたとします。

其一人者見子従事、不見子則不従事。其一人者、見子亦従事、不見子亦従事。子誰貴於此二人。

その一人なる者は子を見れば事に従い、子を見ざれば事に従わず。その一人なる者は、子を見るもまた事に従い、子を見ざるもまた事に従う。子、誰(いず)れをかこの二人において貴ぶ。

そのうち一人は、あなたの姿を見るとシゴトをするが、あなたの姿がなくなるとシゴトをしない。もう一人は、あなたの姿を見たときもシゴトをするが、あなたの姿がなくなったときもシゴトをする。さて、あなたは、この二人のうちどちらを大事にしますかな?」

巫馬子はおっしゃった、

我貴其見我亦従事、不見我亦従事者。

我、その我を見てもまた事に従い、我を見ざるもまた事に従う者を貴ばん。

「わたしは、後者の、わたしの姿を見たときもシゴトをし、わたしの姿がなくなったときもシゴトをする方を大事にしますよ」

墨子先生がおっしゃった、

然則是子亦貴有狂疾也。

然ればすなわちこれ、子もまた狂疾有るを貴べり。

「ということは、あなたもやはり、アタマの病気なのではないかと思われる方を大事にされるのですな。(同様に、人や精霊が助けてくれなくてもハタラいている者の方に、天は最終的には味方してくれるものでございますよ)」

「なるほどですなあ、わっはっは」

「そうでしょう、ひっひっひ」

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「墨子」巻十一「耕柱篇」第四十六より。見ているときも見ていないときもハタラいていない者もいるはずなので、見ているときだけハタラいているだけでも立派なものだと思います。でも見ているときも見ていないときもハタラいていると、疲弊してしまいますよね。やっぱりアタマ変なんです。テレワークの時代にずっと監視している、というのもおかしなことである。コロナもひどいし、もう八月だし、おれはもうシゴトはしないのは当たり前、HPの更新もしばらくバックレてしまうことにするぜ。

 

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