令和2年7月28日(火)  目次へ  前回に戻る

妖怪には読書階級も知識人もリベラルも前衛もないので気楽である。

まだ火曜日か。さきはあまりに長い。ストレスのためであろうか、今日も食いすぎた。

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清の時代のお話です。譚瑄(たんせん)という学者が、試験には受からないし、幕僚として雇いたいという引く手も無いので、江南のとある富豪の家の私塾の先生になった。

なんとか生活も成り立ったと喜んでいたのだが、

主人有声楽之好、歌板師食単豊于書塾。

主人に声楽の好有り、歌板師の食単、書塾より豊かなり。

その家の主人の富豪は、歌や音楽が大好きで、歌曲の師匠も雇われていた。この師匠のところの毎日の献立表は、塾の(師である潭瑄のところの)献立表よりずっと豪華であった。

「怪しからん。学問を何だと思っておるのか」

譚不平。

譚、平らがず。

譚瑄はそのことが不満であった。

食い物の怨みはすごいので、彼は知り合いに会うたびにこのことについて文句を言っていた。

しばらくすると、譚は師匠である朱竹垞先生からの手紙を受け取りました。

閲するに、

・・・前略。

君子以類族弁物、物各有族。在人類而弁之、君子自審其分処焉。

君子は類族を以て物を弁(わき)まい、物にはおのおの族有り。人の類に在りてこれを弁まうに、君子は自らその分を審らかにして処るなり。

(わしら教養のある)立派なひとは、何かを見れば、分類し弁別(して、その扱いを決定)するものである。そして、対象となるものには、必ずその所属する分類があるものなのじゃ。ニンゲンの中で分類し弁別しようとするときは、立派な人は、自分がその中でどんな分類に所属するかを明確にして、そこに所属するものである。

持って廻った言い方をしていますが、要するに、人間の中には職業や身分によって違った価値観がある、ということを言っているようですね。

「(わしと同じ身分の)読書人階級(だと思っていた)のおまえさんが、歌うたいなどと自分を比較するとは、情けないのう」

という上から目線の発言のようです。

・・・さて、女性との関係について考えてみると、

娶妻納采、儷皮純帛可也。至買妾則百金、落営妓籍則千金、流愈下、直益高。

妻を娶るには納采するに、儷皮(れいひ)・純帛にて可なり。妾を買うに至りては則ち百金、営妓の籍を落(ひ)かさんには則ち千金、流れいよいよ下れば、直(ち)ますます高し。

良家の生娘を女房にもらうときには、結納として、ひとそろいの皮と、白い絹布を持っていけばいい(というのが礼のしきたりじゃ)。どこかの農家から若いメカケを金で手に入れようと思えば、まあ金百粒も出せば(むっちりしたのが、ひひひ、)買えるであろう。さらに、現役の妓女でも囲うことにして落籍させるには、まあ金千粒はかかるじゃろう(しかしあの手この手を知っておるでのう、ひひひ)。つまり、身分的に下がれば下がるほど、値段は高くなるのである。

食単之豊、譬以魚飼猫、肉喂犬、于兄何損。

食単の豊かなる、たとえば魚を以て猫を飼い、肉を犬に喂(くら)わすがごとく、兄において何ぞ損なわん。

(歌曲師の)献立表が豪華である、というのは、たとえばにゃんこに(人間が食うような)魚を食わすとか、わんこに(人間でさえ食えないような)肉料理をくらわせるようなものじゃ。そんなとき、おまえさんは、まさか自分がネコやイヌ以下の存在なのだと思っているんではないじゃろうな。

「さすがは先生じゃ。学問しておられるから、なんでも知っておられるのだなあ、ひひひ」

とそれからは文句を言わなくなったのだそうでございます。

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「茶余客話」巻九より。食い物のことはどうしても怨みつらみになりますよね。わはは。わしは今日もたくさん食った。お偉い方々はおフランス料理とか高級和牛とか少しづつ食べて「シェフに乾杯」とか「板さん、腕をあげたね」とか言わないといけないのでしょうが、わしは流れが下なので、いよいよカロリーが高く、ますます濃いどろどろ味のものを食わせてもらえるのである。しかも会話もせずに。

 

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