令和2年7月3日(金)  目次へ  前回に戻る

ぴかぴか光るモミジの中に隠れているドウブツたちを見つけ出してください。ああ、楽しいなあ。

週末である。今週は土日休みなんで、ピカピカのかっこいいモノでも身に付けて、楽しく暮らしたいところです。

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戦国の時代のこと、経侯(けいこう)というひとが、魏の太子のところにやってきた。そのいでたちや、

左帯羽玉具剣、右帯環佩。左光照右、右光照左。

左には羽玉具の剣を帯び、右には環佩を帯ぶ。左の光は右を照らし、右の光は左を照らせり。

左側には鳥の羽と玉を付けた剣を提げ、右側には円盤状の玉をぶらさげていた。左の剣がぴかぴか光り、その光が右を照らし、右の円盤状の玉もまたきらきら光り、その光が左を照らすというきらびやかな様であった。

「経侯と申す者でござる」

「そうですか、こんにちは」

坐有頃、太子不視也。又不問也。

坐して頃(しばら)く有るも、太子視ざるなり。また問わざるなり。

対座してしばらく経ったが、太子は経侯の左右の宝物を見ることもないし、またコトバで触れるころも無かった。

経侯は言った、

魏国亦有宝乎。

魏国また宝有りや。

「この魏の国にはずいぶんとすばらしい宝物がおありなんでしょうなあ(。とはいえこの剣や環ほどのものはそうはございますまい)」

太子はおっしゃった、

「ありますよ」

其宝如何。

その宝、如何。

「ほほう、どんな宝物でござりまするかな?」

太子はおっしゃった、

主信臣忠。百姓上戴。此魏之宝也。

主は信、臣は忠。百姓上を戴く。これ魏の宝なり。

「君主は信頼され、臣下はまごころをもって仕えている。人民は支配階級を敬愛している。これが魏の宝物ですよ」、

「いやいや、

吾所問者非是之謂也。乃問其器而已。

吾問うところのものは是の謂いにあらざるなり。すなわちその器を問うのみ。

わたしがお訊きしたのは、そんな道徳的なものではございません。個別のモノであるところの宝を問うたのです」

太子はおっしゃった、

「個別の者ですか。・・・徒師沼(とし・しょう)は、魏の首都を治めて、市場では掛け売りをさせません(現金定価のみ)。郄辛(げき・しん)は陽の町を治めて、ひとびとは道に落ちている物を拾おうともしません。芒卯(ぼう・ぼう)は王の朝廷にあって、四方の隣国からやってきた賢者たちと次々に面会をしています。

此三大夫乃魏国之大宝。

この三大夫、すなわち魏国の大宝なり。

この三人の大夫たちこそ、魏の国の最高の宝物です」

「むむむ・・・」

経侯黙然不応、左解玉具、右解環佩、委之坐、愆然而起、黙然不謝、趨而出、上車駆去。

経侯黙然として応ぜず、左に玉具を解き、右に環佩を解きて、これを坐に委ね、愆然(けんぜん)として起ち、黙然として謝せず、趨りて出で、車に上りて駆け去れり。

そう言われた経侯は黙り込んでしまって一言も言わず、考え込んでしまった。そして、しばらくすると、左側の玉を付けた剣、右側の円盤状の玉、いずれも解き外して、座っていたところにそのまま置いて、申し訳なさそうに立ち上がると、黙ったまま挨拶もせずに、突然駆けだした。走って門から出て馬車に乗り込むと、大急ぎで馬車を駆って逃げ出した。

自分が間違っていたのを認めたのである。

「待ってください!」

太子は、

騎操剣佩逐与経侯、告経侯曰、吾無徳所宝、不能為珠玉所守。此寒不可衣、饑不可食、無為遺我賊。

騎して剣と佩を操りて逐(お)いて経侯に与え、経侯に告げて曰く、「吾、徳の宝とするところ無く、珠玉の守るところ為るあたわず。これ寒きに衣とすべからず、饑えて食らうべからず、我に賊を遺すを為す無かれ。

馬にまたがると剣と環を持って追いついて来て、車中の経侯に渡すと、経侯に対して言った。

「わたしは自分の中にまだまだ宝とできるような徳も具えておりません。珠玉に守ってもらうような人物ではないのです(「珠玉を守って過ごすような人物になる気はありません」と訳すべきである、という説もあります)。であれば、これらは、寒い時に着ることもできないし、腹が減っても食うことができない、まさに役に立たないものです。わたしに役に立たない(それなのに心を奪われてしまうような)怪しからんモノを置いていかないでください!」

「!!!!!!!」

これが、ラストストローになったようで、

於是経侯杜門不出、伝死。

ここにおいて、経侯、門を杜(とざ)して出でず、死せりと伝わる。

これ以降、経侯は家に帰ると門を閉ざして引きこもってしまい、しばらくして死んだ、といわれる。

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「説苑」巻二十・反質篇より。ドラマチックでたいへんおもしろく、筆者(肝冷斎のこと)の「説苑」中いちばんのお気に入りのお話です。内容もいいですね。

腹が減っても食えないモノは要らん!

など深く共感します。死に方もいいし、また、この魏の太子の名前もわからないし、経侯も徒師沼も郄辛もみんなおそらく実在していないし、芒卯だけが紀元前266年に魏の朝廷で「むかしいた芒卯とゲンダイの〇〇とはどちらが優秀か」という場面で、むかしの賢者として触れられている程度で、ほとんど作り話、フェイクだ、というのも楽しくなってきます。・・・きませんか?

 

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