令和2年6月22日(月)  目次へ  前回に戻る

夜清溪を発して三峡に向かう。君を思えども見えず、兪州に下る。

ホントにもうダメだ・・・と今日も過ごしてしまった。何も進まず、もうダメだ。

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わたしは詩を作らないのでそこのところはよくわからないのですが、

作詩有甘苦独喩。人不能知之境、如病中聞耳鳴、難以語人。

詩を作るに、甘苦の独り喩(さと)る有り。人はこの境を知るあたわず、病中に耳鳴を聞くが如くして、以て人に語ること難し。

漢詩を作っていると、「よくできた」と「これではダメだ」の違いは、自分ひとりで感じるしかないものである。他人にはここのところの心境はわからない。たとえていえば、病気をして耳鳴りを聞いているようなもので、他人に伝えることが困難なのだ。

また、

有人人共覚其非、而自不知之苦。如睡熟鼾声、如何得知。

人人ともにその非を覚るも、しかるに自らその苦を知らざる有り。睡り熟しての鼾声(かんせい)の如く、如何ぞ知るを得ん。

まわりのひとからみれば「これはダメだ」と見えていることでも、自分では「よくできた」と思いこんでダメだと思ってないこともある。熟睡時にぶうすかとイビキをかいているようなもので、どうして自分で知ることができようか。

眠りが浅いときはイビキで起きますけどね。

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「茶余客話」巻十一より。これは詩を作るひとの「あるある」ですが、「病中の耳鳴、睡熟の鼾声」は他のことにもいろいろあてはめることができそうじゃぞ。

 

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