令和2年6月14日(日)  目次へ  前回に戻る

高いところにいるやつは理由もなくうれしそうである。タマゴを重ねた上に立つようなもので、たいへん危ういというのに・・・。

明日はまた月曜日。困りました。大樹の蔭にでも隠れてしまえればいいのかも・・・。

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明の時代、

俗多言大樹有神、其影照人宅輒興旺。

俗に多く、大樹神有りてその影人の宅を照らせばすなわち旺(さかん)なるを興す、と言えり。

世間ではよく「巨樹には神霊が宿っておるので、その木の影が落ちるところに、盛んな気が興るものだ」と言っていた。

ところが、よくよく観察してみると、

所照者不在近而在遠。

照らすところは、近きに在らずして遠きに在り。

その木の影の先端が落ちるところは、近いところではなく、かなり遠いところになる。

巨樹ですからね。

南京市内に「丹丘先生の家」といわれる空き屋敷があるのだが、

宅後一銀杏、影在上新河某家。

宅後の一銀杏、影は上新河の某家に在り。

屋敷の裏に大きな銀杏の木があって、その影の先端は南京市内を流れる運河である上新河のほとりの某氏の家に落ちている。

某氏はわたし(←肝冷斎にはあらず、筆者の顧太初のことである)の知り合いので、その家まで行って確認した。

「そりゃそうですよ」

主人の話によれば、

其家推歩尋而至此。如其然也。

その家、推歩して尋ねてここに至れり。それ然るが如きなり。

その家は、くだんの銀杏の影の落ちるところを計算して、それを追い求めてこの土地を手に入れたのだから、そうであって当たり前である。

とのことであった。

・・・話を変えましょう。

ところで、

椿樹之大者多奇異。

椿樹の大なるものは奇異多し。

椿(ちん)の木の大きなものは、不思議なことを起こすものだという。

の「椿」は「つばき」ではなく、センダンの一種でかなり大きくなる「香椿」という木のことだそうです。

先恭人曾於北門橋旧宅中、夏夜見隣人陳氏園大椿樹、樹杪五色光如瓔珞綏垂下、不可勝数、久之方滅。

先恭人かつて北門橋の旧宅中において、夏の夜、隣人陳氏の園の大椿樹を見るに、樹の杪に五色光の瓔珞(ようらく)の如きもの綏垂(すいすい)し下り、数うるに勝(た)うべからずして、これを久しくしてまさに滅す。

死んだおふくろが、むかし住んでいた(南京)北門橋の近くの家にいたころ、夏の夜に、隣の陳氏の家の庭にあった巨大な香椿の木を見ていたところ、木の小枝という小枝から、五色にきらめく首飾りのようなものが垂れ下がりはじめたという。その数は数えきれないほどで、みなで大騒ぎしているうちに、だいぶん時間が経ってからやっと消えたのだそうである。

不思議なことであったが、何かの前兆であったわけではないらしく、

其家訖無他事。

その家、訖(つい)に他事無し。

陳家には、とうとう、何の事件も起こらなかった。

つまり自然な事象であった、ということである。

ところでみなさん、銀杏の花を見たことってありますか?

・・・しかしだんだん日曜の夜遅くなってまりましたので、そのお話はまた次の機会に致しましょう。

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明・顧太初「客座贅語」巻一より。こんな話ばかりして余生を送りたいものである。

 

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