令和2年5月31日(日)  目次へ  前回に戻る

10時や11時に起きて来るニワトリもいる・・・かも知れない。

昨日一日サボったら、もう明日は平日だった。

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ここでいう「子」(先生)は、隋の文中子・王通のことです。

子見耕者必労之、見王人必俛之。

子は耕す者を見れば必ずこれを労(ねぎら)い、王人を見れば必ずこれに俛(ふ)す。

先生は、耕作しているひとを見れば、必ず「ごくろうさん」と声をかけた。役人を見ると、必ず頭を下げた。

えらいですね。

郷里不騎、鷄初鳴則盥漱具服。

郷里には騎せず、鷄の初鳴すればすなわち盥漱して服を具す。

いなかでは馬に乗らなかった。朝は最初のニワトリが鳴くと起きだして、顔を洗い、口を漱ぎ、余所行きの服を着た。

歳をとったらこうなるひとも多いですが、三十代でこれは立派ですね。

銅川夫人有病、子不交睫者三月、人問者送迎之必泣以拝。

銅川夫人病い有るに、子、睫を交わらせざること三月(さんげつ)、人の問う者、これを送迎して必ず泣きて以て拝す。

銅川夫人は王通のおふくろです。

御母堂の銅川夫人が病気になったときには、先生は、三か月間というもの、マツゲを交わらせる(つまり目を閉じて眠る)ことがなかった。その間、病状を見に来る親族がいると、先生は自ら送り迎えされ、送るときには必ず泣きながら拝礼した。

唐の初めの将軍や大臣たちが多く彼の門下から出たのは、博学よりはその行状の篤さにあったと思われます。

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「文中子中説」より。明日もぺこぺこして過ごすつもりですが、それでもダメでしょう・・・。

二百年以上後のひとになりますが、韓愈が科挙試験を受験しに行くとき、

若俛首帖耳、揺尾而乞憐者、非我之志也。

首を俛し耳を帖し、尾を揺らして憐れみを乞うがごときは、我の志にあらざるなり。

頭を下げ、耳をぺたんこにし、尻尾を振ってお助けを願うという(イヌの)ようなのは、わしの思うところではないのである。

と言っていたのに比べて、頭を下げる文中子さまの方がいいように思うのも、わしも歳をとったからでありましょうか。

 

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