令和2年5月23日(土)  目次へ  前回に戻る

すごいやつがいて、毎日大量に飲んでいるのだ、とむかし聞いたのだが。

本日も思弁の世界に入って現実を思い出さないようにする。

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子ども相手ではなく、立派な大人から、こんなことを正面から訊かれたら、どうしますか。

問海水不溢。

海水溢れざるを問う。

「(黄河や長江の水が注ぎこんでいるのに)海水があふれ出さないのは、どうしてですか?」

「むむむ」

「いろいろ考えますに、

有謂沃焦所鑠、有謂帰墟所泄。入於東而復繞於西、易謂山沢通気、恐亦不誕。

鑠するところに沃焦すと謂う有り、泄すところに帰墟すと謂う有り。東に入りてまた西に繞るも、「易」に「山沢気を通ず」と謂えば、恐らくはまた誕ならず。

海には燃えているところがあって、そこに海水が注がれるので、蒸発して無くなるのだ、という説があるようです。海の中には巨大な穴があって、そこに流れ込んでいくのだ、という説があるようです。また、「易経」に「山と沢とは気が通じている」と書いてある(「説卦伝」)ことから、東の方に流れて行った海水が、ぐるりと回ってまた西から出て来るのだ、という説もそれほど大法螺というわけではありますまい」

「むむむ」

どう答えるか、三時間ぐらい考えてみてください。

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三時間経ちました。

おもむろに答えを見てみますよ。

「海には燃えているところがあったり、穴が開いていたり、という説は、それを確かめねばならないが、現在までも実際にそれを見たものはいないであろう。また、ぐるりと回って西から出る、という説については、「易」に基づいているので一見真実のように見える。しかし、

気則相通、纔落形質便塞住。豈有通理。

気はすなわち相通ずるも、纔かに形質に落つればすなわち塞住す。あに通ずるの理有らんや。

(「易」に書いてあることは真理であるから、もちろん)「気」は山と沢で通じ合っているわけだが、少しでも物質の形をとってしまうと、間は塞がれて止まってしまうのである。(したがって「水」という物質が、東と西で)通じ合っている、ということわりはないぞ。

わしの結論はこうじゃ。

海水不溢、只是陰陽自然之分、天地間長這些、便消這些、往過来続、迄無停機。

海水溢れざるは、ただこれ陰陽自然の分なり。天地の間、長く這(こ)の些(さ)ありて、すなわち這の些を消し、往きて過ぎ来たりて続き、迄(つい)に停機無し。

海水が溢れないのは、ただ、世界の物理的法則(陰陽自然の理)がそうなっている、ということなのじゃ。天地の間には、長い期間、ほんの少しづつのことが増え、一方で、ほんの少しづつ減り、行ったり来たりが永遠に続いて、いつまで経ってもとどまる時が無いのじゃからなあ」

むむむ・・・。みなさん納得できますか?

みなさんは「どうでもいいや」と納得するかも知れませんが、質問者は真剣だったみたいで、再質問されてしまった。

問消在何処。

消えて何処に在りやを問う。

「ほんの少しづつ減った海水は、どこに行ってしまったんでしょうか?」

むむむ・・・。

太陽烘烈処、安得不消。

太陽の烘烈なるところ、いずくんぞ消えざるを得んや。

「た、太陽があんなにぎらぎらと輝いておるんじゃぞ、どうして減ってしまわないでいられるか!!」

今度こそ納得したみたいで、質問者は「むむむ」と黙ってしまいました。

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明・唐枢「雑問録」より。どういう確証があったのか知りませんが、なんやら正しい答えをしているような気がします。気がするだけかな?

唐枢は字・惟中、一庵先生と号す。弘治十年(1497)湖州帰安に生まれ、嘉靖五年(1526)の進士、刑部主事として李福達の弾劾に加わり、嘉靖帝の逆鱗に触れて「削職為民」すなわちクビになって民間人とされてしまい、以降、各地の書院(私立の儒学大学みたいなものです)で教育に従事。隆慶年間(1567〜72)の初めに官に復すも、老齢を以て致仕し、萬暦二年(1574)卒した。彼の教育は、陽明学を下敷きに、「討真心」(ほんとうの心をはっきりさせる)を柱にして、本人の「良知」を認識させることに務めたので、多くの人材が育ったということです。晩年はどんどん仏法も取り入れ、さらに「周易」以前の「帰蔵」「連山」といわれる超古代の占書を復元しようとしたりしています。

 

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