令和2年5月20日(水)  目次へ  前回に戻る

みなさん、道を訊くなら次の三人のうちだれに訊きますか?

1 くそおにばばあ

2 いじわるじじい

3 あまんじゃく

今日も昨日の続きのように雨でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日のお話は昨日の続きではなく、昨日より以前のお話なんです。昨日の賢者・田子方の先生である孔子の高弟・子貢のお話でございます。

「子貢」は字で、姓は「端木」(たんぼく)、名は「賜」(し)ですが、この書物では「子贛」(しこう)と表記されているので、以下原文では「子贛」と書きます。

子贛之承。

子贛、承に之(ゆ)く。

子貢が、所用があって、山東の承の町に出かけた。

子貢はお金持ちですし、おそらくこのころ斉公の賓客(顧問)であったと思われますので、馬車で行くのですが、その途上、

見道側巾弊布擁蒙而衣衰。

道に側巾弊布、擁蒙して衰(さい)を衣(き)るもの有り。

道に、半分しかない破れた布で顔を覆い、喪服を着たひとがいた。

子貢は、このひとに馬車の上から問いかけた。

此至承幾何。

これより承に至る、幾何(いくばく)ぞや。

「ここから承の町まで、どれぐらいありますかな?」

しかし、そのひとは

嘿然不対。

嘿然(もくぜん)として対せず。

黙り込んだまま、答えようとしなかった。

子貢が言った、

人問乎己、而不応何也。

人の己れに問うに、応ぜざるは何そや。

「ひとがご自分に質問しているんですから、答えようとしたっていいではないですか。何を考えてるんだろうね」

すると、そのひとは、やおら

屛其擁蒙。

その擁蒙を屏(しりぞ)く。

自分の顔を覆っていた布を脱ぎ捨てた。

その下からは、

うひゃー!!!!! 

というような不気味な顔が出てくる・・・かと思いきや、普通の顔でした。

その人、うたの形で言う、

望而黷人者仁乎。 望みて人を黷(けが)す者は、仁なるか。

覩而不識者智乎。 覩(み)て識らざる者は、智なるか。

軽侮人者義乎。  人を軽侮する者は、義なるか。

 馬車の上から見下して、人をバカにするのが、心優しい仁者なのか。

 人が応えようとしていないのを見ていながら、それを理解しようとしないのは、思慮深い智者なのか。

 他人を軽んじ侮るのが、真実を求める義者なのか。

―――どうなのだ?

おおっと、しまった、これは賢者だったかも!

子贛下車曰、賜不仁過問、三言可復聞乎。

子贛、車を下りて曰く、「賜は不仁にして過ち問えり、三言また聞くべきか」と。

子貢は慌てて馬車から飛び降りると、そのひとに言った。

「この賜(し)めは、ダメ人間なので間違った質問をしてしまいました! (そんなことではなく、)いまの三つのコトバ(仁・智・義)について、もっと教えてくださいませんか!」

その人は言った、

是足於子矣、吾不告子。

これ子において足れり、吾、子に告げず。

「三つともおまえさんには十分あるようじゃ。わしがおまえさんに教えてやる必要はなかろう」

イヤミで言ったのか、本気で言ったのか、よくわからないんですが、子貢は低頭した。それを横目で見て、そのひとは黙って去って行ってしまった。

それ以来、子貢は、

三偶則式、五偶則下。

三偶すればすなわち式し、五偶すればすなわち下る。

「偶」には二説あります。@「遇」であり、「三人・五人に遇う」という意味。A「耦」であり、当時の農耕は二人一組でペアを組んで行っていたのでこれを「耦」(ぐう)といい、三耦とは六人のこと。

とりあえずAの方がそれっぽいので、A説にしておきます。

三組(六人)の農夫に出会うと、馬車の上で手すりに寄りかかって一礼し、五組(十人)の農夫に出会うと、馬車から飛び降りて挨拶するようになった。

さらに立派なひとになったのである。

なお、このひとは、

其名曰舟綽。

その名を舟綽(しゅうしゃく)と曰う。

名前を「舟綽」という賢者だったそうである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「説苑」巻十・敬慎篇より。賢者は賢者に真理を教えられて、だんだん立派になっていくんです。おいらも道ばたで「なんじ、新聞記者と賭け麻雀をしてはならんぞ!」と叫んでいれば、賢者と認められるかも。真理ですからね。

 

次へ