令和2年5月11日(月)  目次へ  前回に戻る

べんべん、平日はツラいなあ。ツラいときには、おれたち竹林の七賢を思い出しておくれ。

月曜日になりました。今日は暑かったです。我が国ではコロナ感染者の数もだいぶん落ち着いてきたみたいだし、これからは平穏になるのかな・・・。

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安心してはいけないんです。歴史上、

無常安之国、無恒治之民。

常安の国無く、恒治の民無し。

常に安定した国なんか無いし、恒に治まった民なんか無いんじゃ。

といいます。

しかし、安心してください。どうすれば安定するかという永遠の法則というかマニュアルがあるんです。

得賢者則安昌、失之者則危亡。自古及今、未有不然者也。 ・・・ 第一法則

賢者を得ればすなわち安昌し、これを失えばすなわち危亡す。いにしえより今に及ぶまで、いまだ然らざるものあらざるなり。

その国が賢者の参画を得ることができれば安定して繁栄し、それを失えば今度は危うくなり滅んでしまう。古代から現代に至るまで、そうでなかった国があったためしがない。

賢者を得ればいいのじゃ。

また、

明鏡所以照形也。往古所以知今也。 ・・・ 第二法則

明鏡は形を照らすゆえんなり。往古は今を知るゆえんなり。

ぴかぴかの鏡は姿形を映し出してくれる手だてであり、過去の歴史は現在を教えてくれる手だてである。

この第一法則と第二法則を掛け合わせます。

夫知悪往古之所以危亡、而不務襲迹於其所以安昌、則未有異乎、却走而求逮前人也。

それ、往古の危亡するゆえんを悪(にく)みて、而して迹をその安昌するゆえんに襲うことを務めずんば、すなわちいまだ、却走して前人に逮(およ)ぶことを求むるに異なることあらざらん。

難しい言い回しをしてますが、ひとつひとつ追いかけていけば読解できます。

まったく、過去の危機に瀕しあるいは滅亡した(国の)理由(=賢者を失う)を(こんなことになってはいかん、と)いやがっておきながら、自らの行動について、安定しあるいは繁栄した理由(=賢者を得る)を継ごうすることに努力しない、そんなことでは、「後ろ向きに走りながら前を行くひとに追いつこうとする」のとどこが違うのであろうか。

例えば、周の武王を助けて殷を滅ぼした太公望・呂尚はそのことをよく知っていたので、殷を滅ぼした後で、殷王族の生き残りの賢者・微子を宋公に封じて社稷を守らせただけではなく、諫言して殺された紂王の叔父・比干の墓を立派にしてその忠節を称賛したのである。

聖人之於死、尚如是其厚也。況当世而生存者乎。則其弗失可識矣。

聖人の死せるにおける、なおかくの如く厚し。いわんや当世にして生存する者をや。すなわちその失わざること識るべきなり。

(太公望のような)聖人は、死んだ賢者に対してもこのように(墓を立派にして)厚遇したのである。今の世に働き、生きて存在する人については、言う必要もないであろう。(聖人たちが、)そうやって賢者を失うような大失敗をしない、ということをみなさんもよく知る必要がありますぞ。

ありがたいなあ。

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「説苑」巻八・尊賢篇より。途中段階のもろもろはブラックボックスでよくわかりませんが、聖人と賢者がいればこの世は治まることはわかります。治まっていないときはどちらかがいないんですよ。

おれたちは乱世に生きたので、竹林でごろごろしてたんではなくてかなりツラい人生〜

おいらなんか死刑になったのさ〜。

「竹林の七賢」のツラさを知りたいひとは、肝冷斎渾身の名作「竹林の八賢ゲーム」をやってみよう!

 

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