令和2年4月15日(水)  目次へ  前回に戻る

始祖鳥は約二億年ぐらい前の鳥である。「年寄りだと思ってバカにするでないぞ、ほげほげ」

今日もいい天気でしたが、夜になると寒い。いつの間にかつつじも咲き始めているのだが、なかなか初夏という感じがいたしません。もしかしたら、年をとって力が弱まっているので、寒く感じるのであろうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

晋の時代のことですが、

余所知有鞠道龍、善為幻術。

余の知るところに鞠道龍有り、善く幻術を為す。

わしの知り合いの鞠道龍(きく・どうりゅう)というやつは、なかなかの幻術使いであった。

「幻術が使えると一生食いっぱぐれが無くていいな」

と言ったところ、

「いや、この仕事も、歳をとるとツラいことになるんじゃよ」

と、話してくれたことには―――

古昔有東海人黄公。

古昔、東海人・黄公なるもの有り。

むかし(前3世紀、戦国末〜秦のころ)、東の海のほとり山東地方に黄公といわれる術者がおられましたんじゃ。

少時為術、能制蛇御虎、佩赤金刀、絳r束髪、立興雲霧、坐成山河。

少時術を為すに、よく蛇を制し虎を御し、赤金刀を佩して絳rにて髪を束ね、立ちどころに雲霧を興し、坐して山河を成す。

「絳」(こう)は「濃い赤色」「深紅」、「r」(そう)は堅く織った布、「かとりぎぬ」。「絳r」は戦国時代に斉の田単が味方と敵を識別するのにハチマキにして付けさせたので有名です。

若いころはその術を使うと、大蛇も猛虎も言いなりになり、赤がねの刀を腰に帯び、深紅の布で髪を束ね、あっという間に雲や霧を起こし、居ながらにして山や川の幻を見せた。

という方だったんですが、

及衰老、気力嬴憊、飲酒過度、不能復行其術。

衰老に及びて、気力嬴憊(えいはい)し、飲酒過度にして、またその術を行うあたわざるなり。

年をとってからは気力も疲弊してしまい、度を過ごして酒を飲むようになって、もうその術を使うことができなくなってしまったんじゃ。

そのまま引退すべきであったのに、秦の始皇帝が亡くなった後のころ、

有白虎見於東海。黄公乃以赤刀往圧之。

白虎、東海に見(あら)わるるあり。黄公すなわち赤刀を以て往きてこれを圧せんとす。

東海の地方に白い奇怪なトラが現れたという報せがあった。それを聞くと、黄公は、赤刀を手にして、そいつを退治しようとして出かけた。

しかし、

術既不行、遂為虎所殺。

術既に行われず、遂に虎の殺すところと為る。

術はもう使えないのだ。結局、黄公はトラに殺されてしまったのである。

「わはは、ヤラれたヤラれた」「いひひひ」「おほほほ」

三輔人俗用為戯、漢帝亦取以為角抵之戯焉。

三輔人俗に用いて戯と為し、漢帝また取りて以て角抵(かくてい)の戯と為せり。

「角抵」は本来は民間の宗教民俗だと思いますが、漢代に宮中行事となり、力比べ(角力)をはじめ、各種の競技を行う。

長安近くの三輔の民間人たちは、この黄公のエピソードを用いたお芝居を、祭りの時に上演して楽しんでいた。漢武帝のときには、それを宮中でも採用して、相撲大会の時に上演したのであった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

後漢・劉歆(晋・葛洪)「西京雑記」より。若いころなら実際にトラを自由に扱えた、ということですから、幻術もなかなか侮れません。しかし歳をとってからはもうダメだったのだ。それを弁えずにトラ退治に行ってヤラれたというのが、何がオモシロいのか知らないけどお芝居にするぐらいなんで、若いものにはオモシロいのじゃろう。

 

次へ