令和2年3月20日(金)  目次へ  前回に戻る

早くお彼岸に行こう!

医療関係者のみなさんをはじめご苦労をかけてるんだろうなあ、とは思うんですが、シゴト休みでうれしい。シゴトを作り出そうとするうちの上司とか絶対バ・・・おっと、筆の誤まりをするところでした。弘法大師でさえ筆で誤って木から落ちてしまうんだからなあ。

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昔人有云、筆陳如草、墨陳如宝。

昔人云う有り、「筆は陳すれば草の如く、墨は陳すれば宝の如し」と。

むかしのひとは言ったもんじゃ、「筆は古びれば草みたい(に無用で棄てるしかないもの)になり、墨は古びれば宝物のように大切なものになる」と。

このうち、

筆以呉興人製者為佳。

筆は呉興の人の製するものを以て佳と為す。

筆については、浙江・呉興のひとが製造したものが、一番いい。

其所謂狼毫、兔毫、羊毫、兼毫者、各極其妙。

そのいわゆる狼毫、兔毫、羊毫、兼毫なるもの、おのおのその妙を極む。

「オオカミの毛製」「ウサギの毛製」「ヒツジの毛製」「混合毛製」が名産だが、どれもこれもそれぞれの良さを究極まで追求している。

しかしながら、

毫之中有剛柔利鈍之不同、南北中山之互異。毎一枝筆、只要選其最健者二三根入其中、則用之経年不敗、謂之選毫。

毫の中に剛柔利鈍の不同、南北中山の互異有り。一枝の筆ごとに、ただその最も健なるものニ三根を要め選びてその中に入るれば、これを経年に用うるも敗れず、これを選毫と謂う。

同じドウブツの毛であっても、その中には、かたい・やわらかい、するどい・にぶいといった違い、南方のもの、北方のもの、中間のもの、といった異なりがある。一本の筆を作ときに、毛の中から、最も強く健やかに伸びたものを二三本選び求めて、ほかの毛の中に入れてやると、この筆は何年使ってもちびてしまわない。こういう筆を「選ばれた毛製」といいます。

でも本当にこだわる人になると、職人任せにせずに自分で工夫しはじめる。

相伝趙松雪能自製筆、取千百之枝筆試之、其中必有健者数十枝、則取数十枝析開、選最健之毫迸為一枝。

相伝うるに、趙松雪よく自ら筆を製し、千百の枝の筆を取りてこれを試すにその中に必ず健者数十枝有り、すなわち数十枝を取りて析開し、最健の毫を選びて迸して一枝と為す。

「迸」(へい)はホントは「ほとばしる」とか「ちらす」といった意味の字ですが、ここでは「併」(あわせる)の意味で使っているのでしょう。

聞くところでは、元の名筆家・趙松雪は、自分で筆を作ることができた。彼のやり方は、

@  まず、何千何百本という筆を手にして試し書きをしてみる。その中には、強く伸びやかに書ける筆が必ず数十本あるので、それを選び出します。

A  次に、その数十本の筆を切り開いて、毛をばらばらにします。

B  さらにその毛の中から、最も強く伸びやかな毛を選び出して、これを束ねて一本の筆にします。

まるで何千というヘビに争わせて、最後に生き残ったヘビを苦しめた上でそのすさまじい猛毒を取って毒薬を作る、というチャイナ名物「蟲毒」みたいですが、とにかく何千本の筆から一本を作るんです。

如此則得心応手、一枝筆可用五六年、此其所以妙也。

かくの如くすればすなわち得心応手し、一枝の筆、五六年用うるべく、これその妙なる所以なり。

こんなふうに作れば、確かに納得でき、手にぴったりした筆を手に入れることができるであろう。彼はこのような筆を一本作っては、五六年間使い続けたそうで、たいへん筆遣いが巧妙であった理由でもある。

ああ。

諺云、能書不択筆。実妄言耳。

諺に云う、「能書は筆を択ばず」と。実に妄言なるのみ。

むかしからよく「能書のひとは筆を選ばない」というが、実際は大ウソなのだ。

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清・銭泳「履園叢話」十二より。弘法大師は筆を選ばなかったのであるから、やはり弘法大師の方がエライのだなあ、とわかりますね。

 

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