令和2年3月7日(土)  目次へ  前回に戻る

ぶたとのは腹が減って、何か食べ物は無いか、深夜に徘徊しているようである。当時カップ麺と電気ポット(と電力)があったら、こんな苦労は無かったであろう。

今日は昼も晩も美味いもの食った。もちろん肝冷斎は厨房施設が利用できないので、外食である。

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高度経済成長により世の中便利になってガスとか電化製品とか使えるので、いろんな料理が家庭でも作れるわけである。しかしこれらもガスや電気が止まってしまうと使えない。

明の正徳八年(1513)のこと、北京郊外の河北・平谷で

耕民得一釜。

耕民、一釜を得たり。

耕作中の農民が、カマを一つ掘り出したことがあった。

農民は誰かが棄てたモノだろうと考え、畑に水を撒くのに使おうとして、

以涼水沃之。

涼水を以てこれに沃す。

冷たい水をその釜に汲み入れておいた。

すると、しばらくして、釜の中から「ふつふつ」という音が聞こえてくる。

覗いてみたところ、

「うひゃあ」

水即自沸。

水即ち自ずから沸く。

水が勝手に沸き立っていたのである。

不思議に思って村塾の先生を呼んできて調べてみると、

下有諸葛行鍋四字。其釜複層、内有水火二字。

下に「諸葛行鍋」の四字有り。その釜複層にして内に「水火」二字有り。

釜を引っくり返してみると、底に「諸葛行鍋」(諸葛製行軍ナベ)の四文字が鋳こまれていた。さらに、釜は底が二層になっており、外側の底を外すと、内側の底には「水・火」二文字が呪文のように書き込まれていた。

なんと、諸葛孔明の作ったものだったのです。

嘉靖二十七年((1548)、今度は湖南・長沙で、

有兄弟二人耕土、獲一扛竈。

兄弟二人耕土する有るに、一扛竈(こうとう)を獲。

「扛」(こう)は取っ手をつけて棒を通して担ぎ上げること。

二人の兄弟で土地を耕やしていたとき、取っ手付きの移動式のカマドを掘り出した。

あとで柴を持って来て料理しようと考えて、ナベに水を入れてカマドにかけておいたところ、

ぐつぐつぐつ・・・。

鍋水即沸。可炊爨、不用柴炭。

鍋水即ち沸く。炊爨すべくして、柴炭を用いず。

ナベの水はすぐ沸き立った。薪木や木炭などの燃料を用いなくても、煮炊きできることがわかったのである。

「うひゃあ」

二人送入府。

二人、送りて府に入る。

二人は驚いて、役場に持ち込んできた。

長沙府令以下、役人たちが集まって、あちこち調べてみたところ、

視其内、有一小道士篆丙丁二字于背、又有諸葛行竈数字。

その内を視るに、一小道士篆にて「丙丁」二字、背に有り、また「諸葛行竈」の数字有り。

カマドの内側に、道教の師たちが使う呪術用の字体で、小さく「丙丁」(火の兄・火の弟)の二字が書き込まれ、また、「諸葛行竈」(諸葛製行軍カマド)の何文字かが書かれていた。

やはり孔明のしわざであったか。

この取っ手付きカマドは、

明末猶貯長沙府庫。

明末なお長沙府庫に貯わえられたり。

明の滅亡時(17世紀半ば)までは、長沙府の倉庫に保存されていたはずである。

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清・阮癸生「茶余客話」巻十九より。役所で調べたというのですから「ガセ」であるはずがありません。どういう仕組みだったのでしょうか。もしかしたら原子力で沸かすのかも知れませんが、常温核融合かも知れません。イノベーション創設のためにはもう少し情報が欲しいところですが、まことに惜しいことに、阮癸生は清の雍正五年(1727)の生まれですから、あと100年ぐらい遺っていたらもう少し詳しい報告が読めたかも知れないのですが・・・。

ちなみにゲンダイには電子レンジという貴重なものがあるようです。これを用いてみなさんほとんど日常的に「チン」(鴆)を利用しているらしい。肝冷斎は貧乏なので無いからいいのですが、持っている家はたいへんだなあ。

 

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