令和2年2月28日(金)  目次へ  前回に戻る

善いヒツジ飼いがいればぶうすか寝ていられる。

今日一日で、社会も経済もたいへんなことになってきました。

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この間、弟子の童子を連れて町なかに出たとき、

見披枯荷而履雪者。

枯荷を披(き)、雪を履む者を見る。

ハスの葉で作った服を着て、裸足で雪の積もった道を歩いている人を見た。

貧乏で服も靴も無いのだ。

わしは

惻然而悲、涓然而泣之沾袖。

惻然として悲しみ、涓然としてこれに泣きて袖を沾(うるお)せり。

あわれに思って悲しく、そのひとのためにはらはらと涙を流して、覚えず袖を濡らしてしまった。

それを見て、童子が言いました。

夫子奚悲也。

夫子、奚(なに)ぞ悲しめるや。

「先生、何を悲しんでおられるのでちゅかな?」

吾悲若人之阽死而莫能恤也。

吾は、人の死に阽(のぞ)まんとするに、よく恤するなきを悲しめり。

「わしは、あの人がおそらくもうすぐ死んでしまうであろうに、助けてやる力が無いのを悲しんでいるのじゃ」

「うっしっし。

夫子之志則大矣。然非夫子之任也。夫子何悲焉、夫子過矣。

夫子の志はすなわち大なり。しかるに夫子の任にあらざるなり。夫子何ぞ悲しめる、夫子過てり。

先生の志は御立派だとは思いますが、それは先生の任務ではないでしょう。それなのに悲しんでいるというのは、先生が間違っていまちゅよ」

わしは反論した、

若不聞伊尹乎。

若(なんじ)伊尹(いいん)を聞かずや。

「おまえは伊尹さまのことを聞いたことがないのか?

伊尹さまは、紀元前16世紀、夏王朝の末期に、殷の湯王に輔佐して、夏を滅ぼし、殷の天下を開いた功臣である。その伊尹さまは、

思天下一夫不被其沢、則其心愧耻、若撻于市。彼人我亦人也、彼能而我不能、寧無悲乎。

天下に一夫のその沢を被らざるあるを思えば、すなわちその心愧耻し、市に撻(むちう)たるるがごとし。彼も人、我もまた人なり、我よくし我はよくせざる、なんぞ悲しきこと無からんや。

天下にただ一人でも、彼の政治の恵みを受けられないひとがいると思うと、心の中でつらく恥ずかしく思い、まるで市場でむちうたれて(罰と恥を受けて)いるように感じていたという。(と、「孟子」に書いてあるんだから、真実じゃ。)伊尹さまも人間である。わしも人間である。それなのに、伊尹さまにできたことが、わしにはできないのだ。どうして悲しまないでいられようか」

「いやはや」

童子は呆れたように言いました。

若是則夫子誠過矣。

かくのごとければ夫子誠に過てり。

「ほんとにそんなこと考えているとちたら、先生はほんっとにバカものでちゅなあ。

伊尹さまは殷の湯王の輔佐をなされたんでちゅよ。湯王は(「孟子」によれば)七十里四方の領地しか持たない小大名でしたが、そこから天下のひとびとに信頼され、天下の人民と軍隊を動かすようになられた方でちゅぞ。そして、

伊尹為之師、故得志而弗為、伊尹恥之。

伊尹これがために師たり、故に志を得て為さざれば、伊尹これを恥ず。

伊尹さまはその方の顧問であり宰相であったのでちゅ。(困っているひとのために)何とかしたいと思って、何もしなかったら、伊尹さまはそれは恥ずかしかったでしょうなあ。

ところが、

今夫子羇旅也、伊尹之事非夫子之任也。夫子何為而悲哉。

今、夫子は羇旅なり、伊尹の事は夫子の任にあらざるなり。夫子何のためにか悲しむや。

今、先生は根無し草で、誰にも信頼されているわけではありません。伊尹さまの任務は先生の任務とは違うんでちゅ。先生は何で悲しんでいるのですかな?

それに、おいらはこのように聞いております。

民天之赤子也。死生休戚、天実司之。譬人之有牛羊、心誠愛之、則必為之求善牧矣。今天下之牧、無能善者、夫子雖知牧、天弗使牧也。夫子雖悲之、若之何哉。

民は天の赤子なり。死生も休戚も、天まことにこれを司る。たとえば人の牛羊有りて、心にまことにこれを愛すれば、必ずこれがために善牧を求めん。今、天下の牧、善をよくする者無く、夫子牧を知るといえども、天牧せしめざるなり。夫子これを悲しむといえどもこれをいかんせんや。

人民は天の子どもである、と。死ぬも生きるも、楽するもひどい目に逢うのも、すべて天がこれを定めているのでちゅ。たとえば、あるひとがウシやヒツジを所有しているとしましょう。本当にこれらを大切に思っているなら、そのひとは、優秀な牛飼い(羊飼い)を募集することでしょう。さて、今の天下の牛飼いが、うまくやっているかどうかは別としまして、そして先生がウシやヒツジの飼い方を知っているかどうかは別としまして、天は先生に牛飼いを依頼しておりません。先生がひとびとの不幸を悲しまれても、何の役に立ちましょうか」

それから、童子は、

退而歌。

退きて歌えり。

数歩下がって、歌を歌い出した。

彼岡有桐兮、此沢有荷。  彼の岡に桐有り、この沢に荷有り。

葉不庇其根兮、嗟嗟奈何。 葉のその根を庇わざる、嗟嗟(ささ)、奈何(いかん)せん。

 あちらの岡には桐の木があり、こちらの沢にはハスがある。

 もしもそれらの葉が根を覆って(保護して)やらないなら、ああ、どうしようがあるものか。

(先生は葉ではないでしょう)

「むむむ・・・・・」

わしはそれから、

絶口不譚世事。

絶して口に世事を譚(かた)らず。

二度とこの世の時事問題について、口にしたことがない。

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「郁離子」巻下より。これからたいへんなことになるかも知れません・・・が、なったとしても責任がないので、気楽だなあ・・・でいいんでしょうか? いいんですよね?

 

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