令和2年2月18日(火)  目次へ  前回に戻る

オリオン座ベデルギウスがバクハツして超新星になったら、ドウブツたちもこんなふうに見上げるのであろうか。われらも生命の根源を思い出して、宇宙を見上げるのであろうか。

蛍光灯は直りません。

・・・・・・・・・・・・・・・

昔も、手元の灯りが無くなって困ったひとがいたんです。

清の時代のこと、浙江・呉県の劉斌(りゅうひん)という布衣(仕官していない人)は、雅号を文山といい、

善画山水。

善く山水を画く。

山水画を描くのを得意としていた。

ある晩、助手の童子に墨を磨らせて、

挑灯染翰、跋燭誤滅。

灯りを挑(かか)げて染翰するに、燭を跋(ふ)みて誤滅せり。

灯火のもとで筆を濡らして画を描いていたところ、燭台を足で引っ掛けて火を消してしまった。

「先生、消してちまいまちたよ」

「すまんすまん、真っ暗じゃなあ」

と、そのとき、

忽若月光射窗、其明如昼。

たちまち月光の窗を射るごとく、その明るさ昼の如きとなれり。

突然、月光のような光が窗から射しこんできて、まるで昼間のような明るさとなった。

「どうちたのでしょうか?」

と二人で窗を見上げますと、・・・出ました。

視窗上隠現一鬼形。不甚悪、而眼大如椀。

窗上に一鬼形の隠現するを視る。甚だしくは悪(みに)くからざるも、眼の大なること椀のごとし。

窗の上には、妖怪がちらちらと姿を現していたのです。その姿、人間に近く、それほど恐ろしげではないのだが、両目が、まるでお椀のように丸く、でかいのであった。

そして、

眸光炯炯、竟若双炬。

眸光炯炯として、ついに双炬のごとし。

その両目がぎらぎらと光を放ち、まるで二つの松明のようなのです。

部屋の中が明るくなったのはこの目の光のせいだったのだ。

「うわーん、出まちたー、オバケでちゅー!」

しかし、劉文山は慌てず騒がず、にやりと笑って、

拙筆当巨眼観、得毋笑瞎。

拙筆、巨眼の観に当たるも、笑瞎せらるなきを得ん。

「わしの絵は、そのような巨大な目で見ていただいても、可笑しくて見てられないなんてことは絶対にございませんぞ」

童子がびびって気を失ってしまっていましたので、自分で

燃燭復画、画成、収拾笥中。

燭を燃やしてまた画き、画成りて笥中に収拾す。

燭台に灯をつけ直してまた絵を描いた。絵が完成したところで、まるめて箱の中に収めた。

ようやく童子が気を取り戻し、

「あれ、先生、オバケはどうちまちたかね」

「ああ、画に集中しているうちに、

鬼則不見。

鬼すなわち見えずなりぬ。

妖怪は消えてしまったようじゃな」

そう言って、

「やっぱりわしの絵は評価されとるんじゃなあ、うはははは」

とうれしそうに笑ったのだそうでございます。

・・・・・・・・・・・・・・・・

清・朱海「妄妄録」巻六より。文雅なことであります。だが、この巨眼の精霊、もしかしたら「超新星」を見間違ったかもしれません。もうすぐベデルギウスがバクハツしたら、こんなふうに夜も灯り要らなくなるのかな。それまで蛍光灯買うのガマンしようかな。

 

次へ