平成32年1月25日(土)  目次へ  前回に戻る

新年(旧暦)でおめでちゅう。この間は白ネズミが挨拶したのであった。

寒いが、歳も替わったし、氷雨の中を出奔。

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清の康煕十八年(1679)、清が南チャイナに封じた漢人三諸侯(いわゆる三藩)が呉三桂を中心に反乱を起こしました。

その鎮圧のために、

調兵四出、有卒過横渓、宿関帝廟。

調兵四出し、卒の横渓を過ぎて関帝廟に宿する有り。

多くの地から兵を南方に出させたのだが、ある部隊の兵士らが行軍途中に、蘇州の横渓にある関帝廟に宿営した。

兵士らが寝ようとすると、天井に何やら文字が書いてある。

灯りを寄せて読むに、二篇の五言絶句であった。

昔為典兵使、 昔、典兵使たり、

今反在兵列。 今、反って兵の列に在り。

十載従軍行、 十載の従軍行、

太阿混凡鉄。 はなはだ凡鉄に阿混せり。

 むかしは兵を率いていたものだが、

今では率いられる兵士の一人でござる。

この十年の兵隊暮らしで、

くず鉄どもに、たいへん馴染み、混ざってしまったなあ。

このひとは、明末清初の混乱期に、群雄の一人にでも仕えていたものであろうか。チャイナでは良鉄は釘にならず、良人は兵にならず、といい、兵士のことを「凡鉄」(くず鉄)といいます。

四海男児志、 四海、男児の志、

沙場得得行、 沙場に行くを得るを得たり。

深閨今夜月、 深閨の今夜の月、

同此照凄清。 同じくこれ、照らすこと凄清。

 世界に出かけようという男児の志を持ち、

 おれはかつて西域の砂漠を征する機会を得た。

 ・・・今夜、女房と一緒に月を見る。

 あのころと同様に、月は寒々と照らしているぜ。

これを読んで兵士らは涙したという。

此人亦奇士也。

この人また奇士ならん。

この詩を書いたひとは、やはりひとかどの人物であったのであろう。

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「履園叢話」巻一・旧聞篇より。SARSのこと思い出すなあ。

 

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