平成32年1月18日(土)  目次へ  前回に戻る

南国ヒツジは雪だるまの夢を見るのだろうか。

補陀落方面に出奔済み。まさか追い返されることはない、と思うが・・・。

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南方とはいえ寒いです。さすがに扇子、扇風機、冷房はもう要りません。

ところで「扇子」のことなんですが、

或謂古人皆用団扇、今之摺扇是朝鮮日本之制、有明中葉始行于中国也。

或いは謂う、古人みな団扇を用う、今の摺扇はこれ朝鮮・日本の制、有明の中葉始めて中国に行わるなり。

誰かが言っていたが、「むかしのひとはみんなウチワを使っていた。現代の折りたためる扇子は、朝鮮や日本の製品で、明の半ばごろに始めて中国にもたらされたのである」と。

ところが宋の司馬光らが編した「資治通鑑」を閲するに、

褚淵入朝、以腰扇障日。

褚淵入朝するに、腰扇を以て日を障(さ)う。

褚淵が朝廷にご挨拶に来た際、「腰扇」を使って直射日光を防いでいた。

という記述があって、明の胡三省の注に

腰扇、佩之于腰、今謂之摺畳扇。

腰扇は、これを腰に佩するなり、今これを「摺畳扇」と謂う。

「腰扇」というのは、腰帯に(はさみこんで)ぶらさげるものをいう。現代の「折りたたみ式の扇子」のことなんじゃ。

褚淵は六朝の時代、宋の明帝の信任を得、のちにクーデタを起こしたんだったか起こそうとしたんだったかして討たれたひとであるから、四世紀のひとである。

ということは、

則隋唐先有之矣。

すなわち隋唐より先にこれ有り。

つまり、六〜七世紀の隋や唐の時代よりずっと前から扇子はあったのだ。

明代に伝わってきたものではないんじゃよ。

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「履園叢話」巻三より。やっぱりなんでもチュウゴクが起源なんです、ということなんでしょう。すごいなあ。

 

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