令和2年1月9日(木)  目次へ  前回に戻る

 「おまえ、ダイエットのためにはおまじょさまのお風呂(ナベ)に入れてもらって出汁をとってもらうといいぜ」

グツグツグツ・・・「おほほ、だいぶん煮えてきたわねえ」「うわー、煮え立ってきたでちゅー。巧妙なワナにはめられてしまったのカモ」

肝念和尚じゃが、逃亡した肝冷斎一族の代わりに出勤させられる始末。巧妙なワナにはめられているのかも知れん・・・。

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南宋の末から元の時代に荊州に棲んだ龔聖予先生は、

身長八尺、碩大美髯、読書為文、能成一家法。

身長八尺、碩大にして美髯、書を読み文を為(つく)り、よく一家法を成す。

南宋や清の時代では「一尺」は既に30センチ+αですが、人の背丈についていうときは、春秋時代の一尺≒22〜23センチを使っているはずですので、

身の丈176〜184センチ、でかい上にヒゲが立派で、よく読書し、文章を書き、この点でも一家を成したといわれる人である。

特に画に優れ、そのウマの絵は今(清代)もペキンの宮中に所蔵されているほどである。また、幽霊の絵も一流であった。朝廷に仕えず、「高士」と呼ばれたのである。

さて、同じころ権道衡という和尚がおりまして、

入市鬻漢印一方、酬価已定、帰而取値。

市に入りて漢印一方を鬻(か)い、酬価すでに定まりて、帰りて値を取る。

市場に行って、古物商で漢代のものと思われる印鑑を一つ見つけて買うことにした。掛け合いの末に値段も定まり、和尚はおカネを取りに寺に帰った。

そこへ

適龔高士至。

たまたま龔高士至る。

たまたま龔高士がその店を訪れた。

そして、くだんの印鑑を見つけて「これは掘り出し物じゃぞ」と大いに気に入ったふうであった。

肆主人復告以故、以十五緡買之。

肆(みせ)の主人、また故を以て告ぐるに、十五緡を以てこれを買う。

古物商は「かくかくしかじかで権和尚さまに既に売約済みです」と言ったのだが、高士は持ち合わせた十五緡を懐から出して、「これなら文句なかろう」と言って買い取って帰って行った。

「一緡」(いちびん)は「銭ひとさし」で、千文の銭に紐を通して束ねたもの(実際は九百枚とか八百枚で紐を通して束ねた)のことで、それを十五も持っていたのか、と思うとすごい力持ちみたいですが、南宋末はもう紙幣が通用している時代なので、おそらく紙幣で払ったのだと思われます。

高士帰以語女。

高士帰りて以て女に語る。

高士は印鑑を持って家に帰り、むすめに事の次第を告げた。

すると、

女曰大人亦奪人所好耶。

女曰く、「大人また人の好むところを奪えるか」と。

むすめは言った、

「おとっつぁん、また他人さまの気に入ったものを横取りしてきたのかい?」

これを聞いて、高士は愕然とした。

「た、確かにそうだな」

高士即持送権。

高士、即ち権に持送す。

高士はすぐそのまま、権和尚のところに品物を持って行った。

「これはあなたのものだ」

権和尚は言った、

「古物商から高士どのが買い取って行かれた、と聞きました。

先生愛、請蔵諸。

先生愛す、請うこれを蔵せんことを。

先生がそれをお気に入りでしたら、どうか先生のところでお持ちいただきたい」

高士は言った、

「いやいや、

在彼猶在此也。

かしこに在ればなおこなたに在るがごとし。

貴僧が持っていてくだされば、わしが持っておるのもおんなじです」

権和尚は言った、

「いやいや、

在彼猶在此也。

かしこに在ればなおこなたに在るがごとし。

あなたが持っていてくだされば、拙僧が持っておるのもおんなじです」

と、

相譲久、遂沈諸淵而別。

相譲りて久しく、遂にこれを淵に沈めて別る。

お互いにいつまでも譲り合って、ついに、

「それではこうしましょう」「それがよろしかろう」

と印鑑を池に放り込んで、別れて帰って行ったのであった。

ああ。

高士女誠不凡。孰謂異教有此哉。

高士の女まことに不凡なり。孰(た)れか謂わん、異教にこれ有りと。

高士のムスメさんは本当に立派なひとである。また、異国の宗教(仏教)を信仰するひとに、これだけの人物がいた、というのも驚きである。

「ちょっと待て」

わしの友人・紫坪が言うには、

曷不還之肆主人。

なんぞこれを肆の主人に還さざる。

「どうしてその印鑑を、古物商に返してしまわなかったんだ?」

わしは言った、

主人亦不受、終当沈淵耳。

主人もまた受けず、ついにまさに淵に沈むべきのみなり。

「(こんな二人と付き合っていたような人だ。)古物商の主人もやはり受け取りはせず、どう転んでも池に沈めてしまうしかないだろうさ」

ちゃんちゃん。

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「茶余客話」巻二十一より。著者の阮癸生先生はわざと触れていないのだと思いますが、結論としては古物商の主人は15緡もうかっています。権和尚は結局一銭も払っていない。龔高士は15緡をムダにしたので、龔高士の一人負けではないか・・・。いや、しかし、龔高士はそれによって更なる名声を得たわけじゃ。おまけにムスメの評判も上げたのだから、大した策士である。

ところで、拙僧らゲンダイ人がこの数日、アメリカとイランによって見せてもらっているのも、もしかしたらこの類の巧妙なポリティカル・アートのような気もするのじゃが・・・。

 

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