令和元年9月5日(木)  目次へ  前回に戻る

本日製作された「ぶたロボット」ゲームだ。遊び方や、こんなものを作った思想的背景などについては、肝冷斎が帰ってきたら、もしかしたら聴けるかも知れない。

だんだん週末になってきました。うっしっし。

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むかしむかし―――。

紀元前七世紀のことですが、斉の桓公

将東游、問於管仲曰我游猶軸転轂。

まさに東游せんとして管仲に問いて曰く、「我が游はなお軸の轂を転ずるがごとし」と。

東方への旅に出発しようとして、宰相の管仲に問いかけた。

「わしらの旅は、車の軸が軸を受ける轂(こしき)を回すように、スムーズにいくことになるじゃろうなあ」

管仲は特に答えませんでした。

ゴロゴロと馬車を転がして、瑯耶(ろうや)の町まで来たところ、その町を守備する責任者(「司馬」)が言った、

亦先王之游已。

また先王の游なるのみ。

「古代の偉大な王さまたちの旅と同じようになさいませよ」

「う、うむ、まったくそうじゃなあ・・・」

その後で、桓公は管仲に訊ねた。

何謂也。

何の謂いぞや。

「あれはどういう意味なのであろうか」

管仲答えて曰く、

先王之游也、春出原農事之不本者、謂之游。秋出補人之不足者、謂之夕。

先王の游や、春に出でて農事の本づかざる者を原(たず)ぬ、これを游と謂う。秋に出でて人の足らざる者を補う、これを夕(せき)と謂えり。

古代の王者の旅は、春に出かける場合がございました。これは、春になって農業を始めないといけないのに、その資本の無い者がいないかどうかを調べるための旅で、これを「游」(巡遊)と申しました。また、秋に出かける場合がございました。これは、秋になって取り入れをしたのに、来年まで暮らすには糧食など足らない者がいれば、彼らに補足してやるための旅で、これを「夕」(ほどこし)と申しました。

王者の旅には、原則としてこの二種類しかございませぬ。

夫師行而糧食其民者、謂之亡。従楽而不反者、謂之荒。

それ、師の行きて糧をその民に食らう、これを亡と謂う。楽しみに従いて反らざる者は、これを荒と謂えり。

ところで、団体が通り過ぎる際に、食べ物をその地の人民から供出させるような旅、これは「亡」(うしなう)と申します。また、楽しむばかりで、そのために帰らなくなってしまうような旅は、「荒」(すさむ)と申します。

先王有游夕之業於人、無荒亡之行於身。

先王に游夕の人に業(わざ)するは有るも、荒亡の身に行うは無かりき。

古代の王者には、「巡遊」と「ほどこし」によって人民を助けることはあっても、自分を「すさむ」「うしなう」ための旅は無かったのでございます。

瑯耶の司馬の申したのは、そのことでございます」

「なるほど」

桓公退再拝命曰、宝法也。

桓公退きて、再拝命して曰く、「宝法なり」と。

桓公は身を後ろに引き、管仲に二回礼拝して、言った。

「宝ものとすべき教えじゃなあ」

管仲はまた言った、

「このようなコトバがございます、

無翼飛者声也、無根而固者情也、無方而富者生也。

翼無くして飛ぶものは声なり、根無くして固きものは情なり、方無くして富めるものは生なり。

つばさが無いのに、鳥のように飛んで広がっていくのは、ひとのコトバである。

根が無くても堅く結び合うのは、ひとのこころである。

方策をとらなくても増えてくるものは、生きるものたちである。

公亦固情、謹声、以厳尊生、此謂道之栄。

公もまた情を固くし、声を謹み、厳を以て生を尊べば、これ道の栄と謂われん。

桓公さまもまた、ひととの心を固く結び合い、言葉を慎み、(人民を含めた)生きる者たちを厳かに尊重すれば、「栄光の政治」といわれることになりましょう」

と。

「なるほど」

桓公はまた退いて再拝して、言った。

請若此言。

かくのごときの言を請わん。

「そういうふうなコトバをもっと聞かせてくれい」

すると管仲はまた語り始めた・・・

以下、管仲が格言マシーンのように格言を次々としゃべりはじめますが、明日からよんどころなき所用にて出かけますので、続きは帰ってきてからになります。

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「管子」戒篇第二十六より。この篇はタメになる話が多いなあ。旅行から帰ってきてからタメになる話をさらに続けるようなことを↑で言ってますが、肝冷斎の游や、先王の游のようにはいきますまい。上記の分類でいけば、「荒」となって楽しんで半永久的に帰ってこないでしょうから、みなさんはタメになる話はもう聞けないと思いますね。けけけけ。うっしっし。わはははー。

 

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