令和元年8月27日(火)  目次へ  前回に戻る

ぼんやりと何を考えているのかもわからないぶたとのの姿である。何を考えているかわからないときは、たいていサボる方法を考えているようだ。

さすがにそろそろ週末かと思ったが、まだであった。なんとかしてサボる方法はないものか。

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明の天啓年間(1621〜27)に権力を振るった宦官・魏忠賢は、反対派の経略使・熊廷弼を罪に陥れることに成功した。

熊が入獄すると、

其臥所有一藤枕。

その臥所に一藤枕有り。

牢内の寝場所に誰が置いたのか、一個の藤製の枕があった。

熊は、

毎晩人静礼北斗、則取此枕焚香供焉。

毎晩、人静まるに、北斗に礼し、すなわちこの枕を取りて香を焚きて供せり。

毎晩、ひとが寝静まった後、獄窓から見える北斗星を礼拝し、この枕へのお供えとしてお香をあげていた。

北斗星は、文化の神・文昌帝とされていました。熊は枕をそのご神体替わりにしていたのでしょう。

取調べは一通りのもので、すぐに死刑に決まりました。首を切り離される斬罪である。ただの死罪ではなく肉体を別々にされるのは、ご先祖様に合わす顔のない屈辱的な罰と認識されておりましたので、すごく怖ろしいことである。

しかし、

已而刑有日、神色不変、就刃時、奉伝首九辺之旨。

すでに刑に日有るも神色変ぜず、就刃時、首を九辺に伝うるの旨を奉ず。

死刑になる日が決まっても、顔色一つ変えなかった。そして、刑場に引き出されたところで、なんと―――! 

斬った首を(遺族に渡さずに)ばらばらに分解した上、九つの辺境地帯まで運んで誰にも取りに行けなくさせる、という命令が、伝えられたのであった!

ほんと、チャイナのひとはよくこんなイヤになるようなことをよく考えつくものです。感心しますよ。

「どうじゃ、怖ろしいであろう。天下の者が魏忠賢さまに歯向かうという間違いを仕出かさないように、見せしめにせねばならんでのう。ぐっひっひ」

と死刑を担当する西曹の役人が言いましたが、熊は泰然と座についた。

「よし、執行じゃ」

「えい!」

ごろん。

と首が落ちました。

「よし、その首を分解して見せしめに・・・」

俄録其首、則空無所有、惟見一藤枕。

にわかにその首を録せんとするに、すなわち空にして有るところ無く、ただ一藤枕を見る。

すぐにその首を取り上げようとしたのだが、首が落ちたはずの場所は空っぽで、首はない。ただ、藤製の枕が一個、転がっていただけであった。

「なんと」

担当官たちは

大駭、相戒勿泄。

大駭して相戒めて泄すなからしむ。

大いに驚き、互いに「このことは誰にも言ってはならん」と戒めあった。

そして魏忠賢に報告したところ、もう一度探し出すよう命令があったが、

大索不得、遂秘其事。

大いに索むるも得ず、遂にそのことを秘す。

大捜索が行われたが見つからず、最終的にそのことは秘密にされた。

九辺所伝之首、実非経略真顱也。

九辺に伝うところの首、実に経略の真顱にあらざるなり。

熊経略使の首は辺境の地九か所にばらまかれたとされるが、それは本当の首ではなく、別人の頭骨を使ったのである。

此事甚新、見始寧陳氏秋曹日禄。

この事、甚だ新しきも、始寧陳氏の「秋曹日禄」に見ゆ。

このことは、誰も知らなかったことを新発見したように思われるかも知れませんが、明代の陳始寧というひとが記録した「刑事担当官日誌」に書いてあることなのだ。

当時の担当者の日誌に書いてあることなので、ほんとうのことのはずなのだ。

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清・梁紹壬「両般秋雨盦随筆」巻三より。なんと、枕が首の代わりになることがわかりました。それに手足つけて会社に行かせればこちらはサボっていられるわけだ。くくく、これは誰も知らなかったことを新発見したぞ。

 

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