令和元年8月16日(金)  目次へ  前回に戻る

世俗と絶縁した隠者とはいえ、ぶた藩の運命については意識しているのである。

肝冷斎は山中に隠棲してよりもう〇年になります。NHkと契約したくないのでテレビも無いので、世俗のことはよくわからなくなってきたなあ。

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宋の魏野というひとは、陝州の山中に隠居していたが、名宰相の寇莱公がわざわざ訪問くださったので、お礼に詩を作った。

昼睡方濃向竹斎、 昼睡まさに濃ならんとす、向竹の斎、

柴門日午尚慵開。 柴門、日は午なれどもなお開くに慵(ものう)し。

驚回一覚游仙夢、 驚回して一たび覚む、游仙の夢、

村里伝呼宰相来。 村里伝え呼ぶ「宰相来たる」と。

 竹林に面した書斎でぶうすか昼寝、いよいよたけなわであった。

 太陽は南中してきたが、粗末な柴の門を開くのもめんどうじゃわい。

 むにゃむにゃ・・・と、そのとき、わしの仙界へ出かける夢をびっくりして覚まさせることが起こった。

 村びとらがでかい声で駆けこんできたのだ、「宰相さまが来ましたんですぞ!」と。

うーん、どうであろうか。

逸則逸、而未高也。

逸なるはすなわち逸なれども、いまだ高からず。

俗世を離れているなあ、という点では離れているようだが、どうも世間を見下すような高尚さはないなあ。

そんなんだからその後、寇宰相と一緒に近くのお寺に行って、

願得常加紅袖払、 願わくは常に加うるを得ん、紅袖の払、

也応勝似碧沙籠。 またまさに勝るに似たり、碧沙の籠。

 いつも紅の袖で撫でられていたいものですなあ、

 みどりの薄絹の籠に入れられて(学問や修行をして)いるよりはましかも知れん。

と歌ってしまい、

其処煙霞而不忘軒冕、可知。

その煙霞に処(お)りて軒冕(けんべん)を忘れざること、知るべきなり。

「軒」はえらいひとの乗る車、「冕」はえらいひとのつける冠。「軒冕」で富貴の地位、というような意味になります。

けむりやかすみの隠逸の世界にいながら、実は世俗のえらいひとたちの世界についても意識していたことがわかるであろう。

と言われてしまったのである。

これは隠者としては恥ずかしいことです。ああ情けないなあ。

これに対し、申和孟というひとは広羊山というところに隠居していたが、えらい方が都から手紙を寄越してきたその返事に、

日日秋陰命筍輿、 日々の秋陰、筍輿を命ずるに、       

故人天上落双魚。 故人、天上より双魚を落とす。

「双魚」は手紙のことです。いにしえ、手紙は二枚の鯉の形をした紙に挟んで封じたからだとか、二匹の鯉の腹に手紙が入っていたとか言い伝えがあります。

 さびしい秋になってきて、毎日毎日、タケノコを取って運ばせることを家の者に指示していたら、

突然、おまえさんが、天の上から手紙を落として来なすった。

しかしながら、

荷花未老新醪熟、 荷花いまだ老いず、新醪(しんろう)熟し、

為道無閑作報書。 道(い)うならく、報書を作るの閑無し、と。

 今や、ハスの花もまだ凋み切ってはいないし、今年醸したどぶろくが出来上がってきているところ、

 おまえさんに返事を書くようなヒマはない、と申し上げておこう。

と書いて送ったそうである。

簡傲似更出魏上。

簡傲はさらに魏の上に出づるに似たり。

世俗の礼義を無視してえらそうであること、魏野よりも一段上であるといえよう。

ヒマは無い、と言いながら返事をしているところがまた自由なふるまいではないか。

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清・梁紹壬「両般秋雨盦随筆」巻五より。わしのところは、世俗のエラいひとは来ませんので、大丈夫です。

 

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