令和元年8月7日(水)  目次へ  前回に戻る

おそろしい真夏の妖怪たちだ。ざしきわらしのシリコダマを狙うカッパの皿を狙うキジムナーに鼻水をつけようとしているざしきわらし・・・という関係が推測される。

もうダメだー。ダメだー。暑くてバテた。

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許魯斎といえば元の初期に儒学を立て直した大学者として有名ですが、その息子を許敬仁といい、おやじの跡を襲って国立大学の学長に当たる「祭酒」の官に就いていた。

ただしこのひと、

学行皆不逮于父、以門第自高。

学行みな父に逮(およ)ばず、門第を以て自ら高しとす。

学問も行跡もどちらも父親に及ばず、ただ家柄の高いということを理由に、お高く止まっていた。

嘗忽傲人、毎説及乃父奉旨之栄、口称先人者不一。

嘗(つね)に忽ち人に傲り、乃父(だいふ)奉旨の栄に説き及ぶごとに、口に「先人」を称するもの一ならず。

いつも突然人に対して威張り始め、おやじさんが皇帝のご指示を受け(て儒学を広め)たことを話し、そのたびに何度も「先人(わが父上)は」「先人は」と口にするのであった。

浙江・四明に袁伯長という男がいて、彼は厚斎・王応麟というこれも大学者の弟子だったのだが、

以譏謔為習、常嘲敬仁。敬仁大薄之。

譏謔を以て習いと為し、常に敬仁を嘲る。敬仁も大いにこれに薄(うす)くす。

ふざけてひとの悪口を言うのが習慣のようなやつで、いつもいつも許敬仁のことを嘲笑していた。当然、敬仁の方も彼をすごく軽蔑していた。

袁伯長が許敬仁を嘲って作った詩がある。

祭酒許敬仁、 祭酒・許敬仁、

入門韃靼喚、 門に入りては韃靼喚をなし、

出門伝聖旨、 門を出でては聖旨を伝えて、

口口称先人。 口口に先人と称す。

 祭酒の許敬仁という方は、

 家に帰ってくればモンゴル言葉で怒鳴り散らし、

 家から出れば皇帝のご指示を話し、

 何度も何度も「わが父上は」「わが父上は」と唱えていなさる。

蓋敬仁頗尚朔気、習国語、乗怒必先以阿剌花剌等句叱人、人咸以爲誚也。

蓋し、敬仁すこぶる朔気を尚(たっと)び、国語を習い、怒りに乗じては必ず先ず「阿剌花剌」(あらふぁら)等の句を以て人を叱れば、人みな以て誚を為す。

この詩は、許敬仁がたいへん北方遊牧民の文化を崇拝しており、モンゴル語を学び、怒ったときなどには、まずは「アラファラー!」と怒鳴り上げてから叱るので、チャイナのひとびとはみんな悪口を言っていたのを踏まえているのである。

ところがこの袁伯長については、

鄭文粛亦薄伯長、以謂有海浜滑稽之風耳。

鄭文粛また伯長に薄くし、以て「海浜の滑稽の風有るのみ」と謂えり。

こちらはまた、わたしの尊敬する鄭文粛どのが伯長のことを軽蔑しており、「あれは海沿いの地方によくいるおふざけものの一種じゃよ」と言っていた。

まことに

蟷螂捕蝉、黄雀在後。

蟷螂蝉を捕えんとするに、黄雀後に在り。

カマキリがセミを捕食しようと狙っているときには、(カマキリを)スズメがその後ろから狙っている。

というとおりである。

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元・孔斉「至正直記」巻四より。おそろしい世の中だなあ。妖怪より危険かも知れません。コワくてもう会社にもいけなくなってきました。

 

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