令和元年7月16日(火)  目次へ  前回に戻る

夏休みの宿題用に作った「カッパすもう大塗り絵」だ。しかしまだ夏休みにならない。

まだ夏休みではないというだけでなく、まだ火曜日だというのだ。あと三日も出勤とは、なんと「せまられている」のだろうか。

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清の時代にこんなことを訊かれました。

富者所楽在何処。

富者の楽しむところは何処にありや。

「富裕な者は楽しいはずなのだが、その楽しさはどこにあるのでしょうか」

わしは答えて曰く、

不過一箇寛字而已。

一箇の寛字に過ぎざるのみ。

ただ一つ、「ゆるやかである」ということにあるだけだ。

それでは、

貧者所苦在何処。

貧者の苦しきところは何処にありや。

「貧乏な者は苦しんでいるようだが、その苦しさはどこにあるのでしょうか」

答えて曰く、

不過一箇急字而已。

一箇の急字に過ぎざるのみ。

ただ一つ、「せまられている」ということにあるだけだ。

ところが世の中をよくよく見ると、

処富者常亟亟、天下皆是。処貧者常欣欣、実少其人。

富に処(お)る者は常に亟亟(きょくきょく)とし、天下みな是なり。貧に処る者は常に欣欣たるも、実にその人少なし。

富裕な地位にいる者は、(ゆるやかではなく)いつも大忙しで、世の中の富裕者はみなそうであるのに、貧乏な状態にいる者は、(せまられているということを除けば)いつも喜ばしくしているかというと、そんなひとは実に少ない。

「論語」をひもときますと(以下、以前にもご紹介した「論語」の一節が続きますが、何回でも聞いていただくといいおコトバばかりなので何回も言います)、

子貢曰、貧而無諂、富而無驕、如何。

子貢曰く、貧にして諂う無く、富て驕る無きは如何。

子貢が質問しました。「貧乏ですがへつらわない。富裕ですがいばらない。こんな生き方は如何でしょうか」

子曰、可也。未若貧而楽、富而好礼者。

子曰く、可なり。いまだ貧にして楽しみ、富みて礼を好む者には若かず。

先生がお答えになった。「かなりいいぞ。しかし、貧乏で楽しんでいる。富裕で文化を好む、という方がいいな」

と孔子がおっしゃった(学而篇)ように、

貧而楽、富而好礼、皆為人所難。

貧にして楽しみ、富みて礼を好むは、みな人の難しとするところ為り。

「貧乏で楽しんでいる、富裕で文化を好む」というのは、どちらもなかなか難しいことなのだなあ。

また、

子曰、賢哉回也、一箪食、一瓢飲、在陋巷、人不堪其憂、回也不改其楽。賢哉回也。

子曰く、賢なるかな回や、一箪の食(し)、一瓢の飲、陋巷に在り、人はその憂いに堪えざらんも、回やその楽しみを改めず。賢なるかな、回や。

先生がおっしゃった。

「顔回は賢者だなあ。弁当箱一個の食べ物と、瓢箪一本の飲み水で、騒がしい横町に住んで、他の人はそんな生活はイヤになるだろうに、顔回のやつは楽しくてしようがなくて生活を変えようとしない。顔回は賢者ではないか」

顔回が「楽しんだ」のは、@貧乏だが自由な生活そのものか、Aその生活の中での純粋な学問探究か、という有力な二説が対立していますが、ここは一応@で解してください。

といわれる(雍也篇)ように、貧しい生活を楽しむのは、

非有聖賢工夫、未易言也。

聖賢の工夫有るにあらざれば、いまだ言うに易からざるなり。

聖人賢者の修行をしなければ、なかなか簡単には言えないことなのだ。

さて、話はかわりますが、

貧者是天下最妙字、但守之則高、言之則賤。

貧なるものはこれ天下最妙字、ただこれを守ればすなわち高く、これを言えばすなわち賤なり。

「貧しい」ということは、実に天下で最も巧妙な概念である。もしそのことに黙って安んじていればそれだけで高尚なことであるが、そのことを口に出して嘆いていればそれだけで卑賎になってしまうのだ。

毎見人動輒言貧、或見人誇富、最為賤相。

つねに、人の動(やや)もすればすなわち貧を言うを見、あるいは人の富を誇るを見るに、最も賤相なり。

ひとさまが、いともたやすく貧乏を嘆き不平を言ったり、あるいは逆に自分の富裕であるのを威張ったりするのを見ると、いつもこれこそ最も卑賎な姿というべきではないかと思う。

わしは申し上げたい。

動輒言貧、其人必不貧、見人誇富、其人必不冨。

動もすればすなわち貧を言う、その人は必ず貧ならず、人の富を誇るを見れば、その人は必ず富ならず。

いともたやすく貧乏だと言うような、そんな人は絶対に(まことの)貧乏ではないし、富裕を人に威張るような、そんな人がいたらその人は絶対に(まことの)富裕ではない、と。

逆に、

処富者不言富、乃是真富、処貧者不言貧、方是安貧。

富に処(お)る者の富を言わざるは、すなわちこれ真に富み、貧に処る者の貧を言わざるは、まさにこれ貧に安んずるなり。

富裕でありながら富裕だと威張らないひと、こんな人こそ本当の富裕を味わっており、貧乏であるが貧乏だと不平を言わないひとは、まさに貧しさに安んじているというべきであろう。

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清・梅渓先生・銭泳「履園叢話」より。とりあえずおカネ持ちは「寛=ゆるやか」に、貧乏人は「不急=せまられない」ように過ごしてみると、それぞれの長所が出ていいみたいです。洞窟に来ないと、家族や上司や部下や一族郎党や税務署や何やらがいてなかなか難しいんでしょうけれど。

 

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