令和元年6月23日(日)  目次へ  前回に戻る

左上から時計回りに、いつもハラが減ったとうるさいピイピイ(つばめ)、すでに諦念を持つホウホウ(ふくろう)、淡々と生きるピヨ(一般ひよこ)、水上で淡々と生きるガ―(あひる)の四大ひよこである。まだひよこなので若いようじゃ、説教してやるのじゃ!

どうもだんだんと身心に変調をきたしてきているような気がして、困ってきております。

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うーん。まあ、だんだんと、だから今日のところはまだいいや。

それより今日もいにしえの賢者のコトバを伝えて、説教をするのじゃ。

在天者莫明於日月。 天に在りては、日月より明なるもの莫(な)し。

在地者莫明於水火。 地に在りては、水火より明なるもの莫し。

在物者莫明於珠玉。 物に在りては、珠玉より明なるもの莫し。

在人者莫明於礼義。 人に在りては、礼義より明なるもの莫し。

天空にあるものの中では、太陽と月よりも明らかなものはない。

地上にあるものの中では、水と火よりも明らかなものはない。

物体の中では、真珠や宝玉よりも明らかなものはない。 

人間社会にあっては、礼(規範)と義(道義)よりも明らかなものはない。

以上の「四明」が無ければ、世界には人間を導く光が無くなります。

日月不高、則光輝不赫、水火不積、則潤不博。

日月高からざれば、すなわち光輝赫たらず、水火積まざれば、すなわち輝潤博ならず。

太陽と月が高いところまで昇らなければ、地上にく光があかあかと届くことはなく(ほかの星では光が足らない)、水と火がたくさん無ければ、光線と湿潤は広くひろがらない。

わけですし、さらには、

珠玉不睹乎外、則王公不以爲宝、礼義不加於国家、則功名不白。

珠玉外に睹(み)えざれば、すなわち王公も以て宝と為さず、礼義国家に加えざれば、すなわち功名白(あきら)かならず。

真珠や宝玉が(貝や石の中に入ったままで)外部から見えないのであれば、王さまや公爵さまもそれを宝物として身を飾ることができず、規範と道義も国家において施行されるのなければ、(それらに基づいて大きな仕事をしたという)功績や名誉もはっきりさせることができない。

わけでもあります。

この故にいにしえより、

人之命在天、国之命在礼。

人の命は天に在り、国の命は礼に在り。

「人間の運命は天にあるのだが、国家の運命は規範(が守られるか否か)にあるのじゃ」

といわれるのですなあ。

「礼」(規範)が大切なのですぞ。

君人者隆礼尊賢而王、重法愛民而覇、好利多詐而危、権謀傾覆幽険而亡矣。

人に君たる者、礼を隆しとし賢を尊べば王たらん、法を重んじ民を愛せば覇たらんも、利を好み詐多ければ危うく、権謀・傾覆にして幽険なれば亡われん。

人民を支配し指導する立場にある方が、規範を価値の高いものとし、賢者を尊ぶならば、正義によって世界を支配する「王者」となりましょう。法規を重視し、人民を大切にすれば、力によって世界を支配する「覇者」となれましょう。

しかし、利益を好み詐りごとが多いなら、その地位は危険になりますし、権謀を使い他者を傾けたり転覆させたりし、自らの情報を隠しキビシイ対応ばかりをするようでは、国は亡び君主は滅びることとなりましょう。

ああ、本当のことを言ってしまいました。戒めねばなりませぬ、戒めねばなりませぬ。

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「荀子」論天篇より。老人特有の身心の衰えを訴え出した肝冷斎、為政者たちにこのような説教をしていられるのもいつまででありましょうか。

 

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