平成31年4月27日(土)  目次へ  前回に戻る

近所の墓場に住み着いているほぼ黒猫だが足の先だけ白い靴下ネコの「くつした」である。ひとなつっこいネコであるが、幽霊の方にもなつっこいかも知れません。よく闇の中の一点を見つめている。

境界は危険な場所である。天子さまの代替わり・元号の変わり目も、ふとした次元の隙間から、どんな「禍津物」(まがつもの)が入り込んでわざわいを成すか知れないので、気を付けねばならぬであろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・

清の時代のことです。

丁光煥という読書人があるとき洞庭湖のほとりに滞在したことがありました。

その晩、月がたいへん綺麗だったので、蘆の生えた湖畔の道を散策しておりますと、

見数十歩外一人席地而坐。

数十歩外に一人の地に席して坐するを見る。

数十歩ぐらい離れたところで、誰かが一人で地面にむしろを敷いて座っている姿が見えた。

「あのひとも月を見に来たのだな」

と思っていると、

忽有一人至前叱曰、何処野鬼、在此現形。

忽ち一人、前に至りて叱して曰く、「何れの処の野鬼か、ここに在りて形を現わすは」と。

突然、別のひとがその人の前に現れて、声を荒らげて言うに、

「いったいどこの浮遊霊じゃ、こんなところで姿を見せているのは」

と。

これに対して、座っていた方もまた声を荒らげて、

我在此賞月、汝是野鬼、反以人為鬼。

我はここに在りて月を賞するなり、汝これ野鬼、反って人を以て鬼と為せり。

「わしはここで月を鑑賞しているのじゃ。おまえこそ浮遊例のくせに、却って人間さまを幽霊だと言うのか」

「なんじゃと」

「やる気か」

互争不已、拳足交加。

互いに争いて已まず、拳足こもごも加う。

お互いに言い争ってやまず、ついに殴りかかったり蹴り合ったりし始めた。

「せっかくの月なのに、騒がしいやつらだな」

光煥以爲酔徒、置不顧而行。

光煥、以て酔徒ならんと為し、置きて顧みずして行けり。

丁光煥は、おそらくこいつらは酔っぱらいなのだろうと思い、放っておいてどんどん先に進んだ。

しばらく行くと、

見有踞石而坐者。

石に踞(うづく)まりて坐する者有るを見る。

今度は、石の上に座って(空を見上げて)いる人を見かけた。

すると、

林中出一人遥謂曰、請暫避、我乃鬼、恐陰気侵染、於君不利。

林中より出でし一人、遥かに謂いて曰く、「請う暫く避けよ、我すなわち鬼、恐るらくは陰気侵染して、君に利せざらん」と。

林の中から出てきた一人が、石の上のひとに向かって遠くから呼びかけて言うに、

「これ、おまえさん、そこから少し離れてくれんかな。わしは幽霊なんじゃ。わしがこれ以上近づくと、おそらく霊気が波及して、おまえさんの運気や健康によくない影響を与えてしまうかも知れんからな」

石に座っていた方が答えて言うに、

我是鬼、君是人。毋相紿。請勿近我、近則恐発寒熱。

我これ鬼、君これ人なり。相紿(あざむ)くなかれ。請う、我に近づくなかれ、近づけばすなわち恐るらくは寒熱を発せん。

「わしの方こそ幽霊じゃ。おまえさんこそ人間ではないか。この場所に座ろうとして、欺こうとしてもそうは行くものか。おまえさんこそそれ以上わしに近づかない方がいいぞ。近づくと、悪寒がして、それから発熱することになるかも知れんぞ」

「なんじゃと、ひと・・・ではない、幽霊が親切に言ってやっておるというのに!」

亦互相争鬥。

また互いに相争鬥(そうとう)す。

こちらもお互いに争い喧嘩しはじめた。

「鬥」(とう)は「門」ではなくて、向かい合った二人が取っ組み合っている姿を現わしています。「闘」も今は「門がまえ」になっていますが、本来は「鬥」の中に豆と寸があるんです。

時に夜も更けてきて、

浮雲蔽空、月光漸斂。

浮雲空を蔽い、月光ようやく斂(おさ)まる。

雲が空に出始め、月の光も遮られることが多くなってきた。

「そろそろ宿に戻るか」

丁光煥は湖畔の道を引き返した。

その途中、

適湖辺有数人捕魚、見而合譟、鬼来、踉蹌逃遁。

湖辺に数人の魚を捕らうに適(あ)うに、見て「鬼来たれり」と合譟し、踉蹌(ろうそう)として逃遁す。

水辺に何人かで魚を捕っているやつらに出会った。彼らは光煥が歩いてくるのを見ると、

「幽霊が来たぞ!」

とみんなで騒ぎ出し、大慌てで逃げ出して行った。

「わしのことか? 怪しからんなあ」

また半里(300メートルぐらい)ほど行くと、

有三四人席地度曲、又合譟、人来、如鳥獣散。

三四人の地に席して曲を度する有り、また「人来たれり」と合譟して、鳥獣の如く散ず。

三四人で地面にむしろを敷いて、歌をうたっているやつらがいたのだが、こいつらは今度は「人間が来おったぞ」と騒ぎ出して、鳥やドウブツがひとを見て逃げるように散り散りになっていった。

「むむむ・・・」

竟不知所見孰人孰鬼。

ついに知らず、見るところいずれが人にしていずれが鬼なるかを。

とうとう、出会った者たちのうち、どれが生きた人間で、どれが幽霊なのか、まったくわからなくなってしまった、という。

ああ。

世態変幻、鬼蜮為奸、大抵人而鬼者殊不少也。

世態変幻し、鬼蜮(きよく)奸を為すも、大抵人にして鬼なるもの殊に少なからざるなり。

「蜮」(ヨク)は水に棲む虫の一種なんですが、「鬼」と同義で使われることがあります。

世の中のことは生き馬の目を抜くように変化し、悪霊たちが害悪を為す、というが、実際は、生きた人間でありながら悪霊そのものみたいなやつが、本当にたくさんいるのである。

・・・・・・・・・・・・・・・

清・朱海「妄妄録」巻七より。月の光の下、湖のほとり・・・境界の狭間からいろいろ混じり合ってしまったんでしょう。現世にはこのように人間だけでなく幽霊までいて複雑に活動しているのです。めんどくさいなあ。改めて、早く世俗を離れてしまうのがいいと思いますよ。

ところで、みなさんご自身がどちらだったかちゃんと覚えていますか?

 

次へ