平成31年2月26日(火)  目次へ  前回に戻る

姫さま「あたしには教養以外に足りないものはないのでは」御隠居「目がお悪くて鏡が見れないのも欠点ですのう」

世間では花粉が多く出ているようです。洞穴のなかは大丈夫ですが。

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今或謂人曰使子必智而寿、則世必以爲狂。

今、或ひと、人に謂いて「子をして必ず智にして壽ならしめん」と曰わば、すなわち世必ず以て狂と為さん。

もしもあるひとが、別の人に「おまえさんを必ず知恵者にして、しかも長生きさせてやりますぞ」と言ったりしたら、世間はこのひとを狂っている、というであろう。

なぜならば

夫智性也、寿命也。非所学於人也。而以人之所不能為説人、此世之所以謂之為狂也。

それ、智は性なり、寿は命なり。人に学ぶところにあらざるなり。而して人の為すあたわざるところを以て人に説く、これ世のこれを狂を為す所以なり。

ハア、知恵者かどうかというのは生まれつきで、長生きするかどうかは運命によるところである。どちらも他人に教えてもらえることではない。それなのに、人のできないことをできるといって他人に説いているのですから、これが世間はそのひとを狂っているとする理由である。

謂之不能然、則是諭也。夫諭性也、以仁義教人。是以智与寿説人也。有度之主弗受也。

これを然るあたわずと謂わば、すなわちこれ諭なり。それ、性を諭するや仁義を以て人を教う、これ、智と寿を以て人を説くなり。有度の主は受けざるなり。

そんな人のいうことは間違っている、というなら、それは理の通ったことである。ハア、ところが、生まれつきのことについて理を説くのに、仁とか義とかいう概念を使って人に教えるのは、さきほどの知恵者にしてやるとか長生きさせてやるとかと他人に言うのと同じであって、物事のわかった君主はそんな話は受け入れないであろう。

なるほどなあ。

さて、そこのおじょうさん。

善毛嬙西施之美、無益吾面。

毛嬙・西施の美を善みするも、吾が面には益無し。

伝説的な美女である毛嬙(もうしょう)や西施(せいし)の美しさをいくらほめそやしても、おまえさんの顔はちっともよくならんのじゃぞ!

而用脂沢粉黛、則倍其初。

而して脂沢粉黛(したくふんたい)を用うれば、すなわちその初めには倍せん。

しかし、おしろいやらクリームやら眉墨やらを塗りたくれば、いまよりはさすがに倍ぐらい見た目はよくなるのじゃぞ!

わしが言っているのではなくて、昔からそう言われているのじゃ。

同様に、

言先王之仁義、無益於治。明吾法度、必吾賞罰者、亦国之脂沢粉黛也。

先王の仁義を言うも治に益無し。吾が法度を明らかにし、吾が賞罰を必にするは、また国の脂沢粉黛なり。

古代の聖王たちが仁であった義を施したといくら言っても、統治は何にもよくならんのじゃ。一方、現在の法律や決まりを明確に示し、褒められる・罰を受けるの基準をぶれさせなければ、それは国政にとって、おしろいやらクリームやら眉墨と同じ働きをしてくれるだろう。

故明主急其助、而緩其頌。故不道仁義。

故に明主はその助に急にして、その頌には緩(ゆる)うす。故に仁義を道(い)わざるなり。

こういうわけで、優秀な君主は、その統治の助けになることには大急ぎで手をつけるが、いいなあと称賛するだけのことについては後回しにするのだ。仁やら義やらを言っているヒマは無いのである。

おまえさんも大急ぎでおしろいやクリームや眉墨やらを塗りたくる方がよいのじゃ!

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「韓非子」巻十九・顕学篇より。この篇は当時の「顕かな学」(有力思想)である儒教と墨子を批判する章です。ほんとはおじょうさんを教え諭すものではありません。

 

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