平成31年2月19日(火)  目次へ  前回に戻る

ぶたとのは、この×丸に乗って、いろんなところから逃げ出してきたのだ。早めに逃げ出さなければ彼の能力で今まで生き延びて来れたはずがないのだ。

わしのように逃げ出して、洞穴に入ってしまうのがよいのですぞ。ああ暖かいなあ。

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南北朝時代の南斉の国で、宴会をしました。宴たけなわのころ、

武帝令群臣賦詩。

武帝、群臣をして詩を賦せしむ。

皇帝は、群臣に詩を作るようお命じになった。

武帝は南斉の二代目の皇帝になります。(在位482〜493)

すると、大司馬の王敬則が「がははは」と笑った。

王敬則は前代の宋の時代に、皇帝の親衛隊員から身を起こし、剣術と決断力を武器に出世して、さらには宋から斉への政権交代の際に大活躍し、斉の建国の功労者として重きをなしていた人物であった。

そして、

敬則不大識書、而性甚警黠。

敬則は大いには書を識らず、而して性はなはだ警黠(けいかつ)なり。

王敬則さまはあまり文字が読み書きできなかった。しかし、性格はたいへん注意深く、かつずる賢くいらせられた。

といわれた方であります。

このひとが「がははは」と笑ったのである。

皇帝は、

「何がおかしいのじゃ?」

とお訊ねになりました。

敬則曰く、

臣幾落此奴度内。

臣、ほとんどこの奴の度内に落ちんとせり。

「わしは、こいつ(読み書き)の支配下にあやうく入ってしまうところじゃったんですわい」

「どういうことじゃ?」

曰く、

臣若解書、不過作尚書都令史爾。那得今日。

臣もし書を解せば、尚書都令史を作すに過ぎざるのみ。なんぞ今日を得ん。

「わしがもしも読み書きが出来ていれば、尚書省の下級書記官になれたぐらいでしょう。どうして今のように出世できたでしょうか(できなかったでしょうなあ)。

がはははは」

後世の史家、評して曰く、

語妙。

語、妙なり。

このコトバ、見事である。

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明・林茂桂編「南北朝新語」巻二「捷対」(うまい答え)より。「南史」巻45に出るエピソードだそうです。「南北朝新語」は、後漢から六朝初期までの「世説新語」をオマージュして、その次の南北朝時代のカッコいいエピソードを、明代になってから林茂桂という人が編集した本です。

実はこの王敬則、その後、明帝(在位494〜498)のとき、追い込まれて叛乱を起こしました。反乱軍を率いて一度は都・建康に迫り、逃げ出そうとした斉国の皇族や重臣を見て、不朽の名言を吐いたので有名であります。

壇公三十六策、走是上計。

壇公が三十六策、走ることこれ上計なり。

と。「壇公」は宋代の名将・壇道済のことで、「兵法三十六策」というのを著したのだが、その三十六策めが、「走為上」(走ることを上と為す)であった。

「壇道済さんの整理した三十六の戦略の中でも、「(どうしようもないときは)逃げること」が最良の策であるとされているぞ」

純粋に状況判断をして言ったのか、相手を嘲笑して言ったのかは判然としませんが、これが「三十六計、走(に)げるに如かず」の語源とされております。逃げる方の大将が言ったわけではないので要注意。引っ掛け問題が試験に出るかも知れません。

ただし、結局、このあと包囲された王敬則は、逃げることもならず戦死した(「南斉書」巻26「王敬則伝」)。やはり早めに逃げておかなければならなかったのである。

 

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