平成30年12月10日(月)  目次へ  前回に戻る

弱肉強食の厳しい社会である。案外最初に手を出したやつはやられたりするし。

寒くなってまいりました。風邪ひいたようである。それでも会社に行く、などというのは出過ぎたことであろう。

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出過ぎたことはしてなりません。

昔者舜使吏決鴻水、先令有功、而舜殺之。

むかし、舜、吏をして鴻水を決せしむるに、令に先んじて功有り、而して舜これを殺す。

「鴻水」は「洪水」と同じです。

超古代のことでございますが、聖天子・舜が、黄河の水が溢れそうだというので、役人に(一番被害の少ないところを選んで)堤を切り、洪水を導こうとした。その際、役人の一人が舜からの命令を待たずに、堤を切ってしまい、結果としてはそれでうまくいったのだが、舜はこの役人を死刑にしてしまった。

一方、

禹朝諸侯会稽之上、防風之君後至、而禹斬之。

禹、諸侯を会稽の上に朝するに、防風の君後れて至り、而して禹これを斬る。

舜の後継者で、夏王朝を創立した聖王・禹は、会稽の地に天下の諸侯を集めて会見することにした。ところが、防風国の君主が遅れて到着したので、禹は彼を斬罪に処してしまった。

なるほど。

以此観之、先令者殺、後令者斬。則古者必貴如令。

ここを以てこれを観るに、令に先んじる者は殺し、令に後るる者は斬る。すなわち古しえは必ず令の如きを貴ぶなり。

このことから考えてみるに、命令に先んじたら殺され、命令に後れたら斬られるのだ。つまり、古代においては命令どおりにすることが、大切だとされていたのですなあ。

もう少し考えてみます。

鏡執清而無事、美悪従而比焉。

鏡は清きを執りて事無く、美悪は従いて比せらる。

鏡は清らかに澄んでいる状態のままでいれば、姿を映すひとが美しいか醜いかは、それによって比べることができるのである。

また、

衡執正而無事、軽重従而載焉。

衡(はかり)は正を執りて事無く、軽重は従いて載せらる。

はかりは支点のところで吊り合っている状態のままでいれば、物の軽いか重いかは、それに載せることで定めることができるのである。

それなのに、

揺鏡則不得為明、揺衡則不得為正。

鏡を揺らせば明を為すを得ず、衡を揺らせば正を為すを得ず。

鏡をゆらゆら動かせば、人の姿を明確に映すことはできなくなるであろう。はかりをゆらゆら動かせば、支点のところで吊り合っていることはできなくなるだろう。

法之謂也。

法の謂いなり。

「法」というものも(鏡やはかりと)同じことである。

ということで、君主は「法」(決め事)を動かしてはなりません。それを動かさずに、それをやれない者はもちろん、言う前にやってしまったやつも処罰してしまうのがよろしい。それによって社会はよく治まるのである。

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「韓非子」巻五・飾邪篇より。「法家」の面目躍如たるものがありますね。

それにしても我ら命令されてもやらない(やれない)者は仕方が無いと諦めもつきますが、命令されていないことをしても処罰されてしまうんです。「言わなくてもハタラクやつ」:「言われてハタラクやつ」:「ハタラかないやつ」の比率は2:6:2だそうですが、最初の方の2も後の方の2も処罰されるとは、ハタラいているみなさんがかわいそうだなあ。

 

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