平成30年10月29日(月)  目次へ  前回に戻る

小さいことは気にしないうちに秋になって食い物が無くなってきたのでモグ。まあいいか・・・。

週末は日本ピラミッドに登ったので疲れました。今日は会議で爆睡。もう自己嫌悪甚だしい。まあでも日本ピラミッドに登ったおかげで精神の方が強靭になったので、あんまり小さいことは気にしないことにするぜ。

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小さいことは気にしてはいけません。

戦国・韓の襄王(在位前318〜前296)の時代、韓の国は東の強国・斉と西の超強国・秦の間に挟まれて、どちらに同盟するかで困っておりました。

王族で宰相の公叔という人は、斉と同盟すべきと考え(これを「合従策」といいます)、斉の実力者である薛公・田嬰に近づき、好誼を通じていた。

その公叔のところへ賢者がまいりまして、言う、

乗舟舟漏而弗塞、則舟沈矣。

舟に乗るに舟漏るるも塞かざれば、すなわち舟沈む。

「舟に乗っていて、その舟に穴が開いて浸水してきたのに、その穴を塞がなければ舟は沈んでしまいますなあ」

―――当たり前である。

塞漏舟而軽陽侯之波、則舟覆矣。

漏舟を塞げども、陽侯の波を軽んずれば、すなわち舟覆る。

「ところが、舟の浸水箇所を塞いだとしても、「陽侯の波」を軽視していたら、今度は舟は転覆してしまいますぞ」

―――「陽侯の波」とはなんじゃ?

「陽侯」というひとは、戦国から漢の時代についてよく語られた水の神さまなんだそうです。もともとが何者であったかについては諸説あり、原始時代の聖人・伏羲の六佐(六人の補佐者)の一人だ、とか、江海(大河や海)の擬人化だ、とかいうのですが、後漢・高誘「淮南鴻烈解」「淮南子」の注釈書)の説が一番一般的そうなのでこれを紹介しますと、

陽侯、陽陵国侯也。溺死於水。其神能爲大波、有所障害、故因謂之陽侯之波。

陽侯は陽陵国の侯なり。水に溺死す。その神よく大波を為し、障害するところ有り、故に因りてこれを「陽侯の波」と謂えり。

陽陵国は春秋時代の晋の附庸(属国)なんだそうです。

(水の神さまとして淮南子に書かれている)「陽侯」というのは、春秋時代の晋の属国・陽陵国の首長であった。彼は川で溺死したので、その神霊は大波を起こしてひとびとに害をなす力を持った。このため、(突然起こる)大きな波のことを「陽侯さまの波」というのである。

―――うんうんそうでした、いやいや、前から知っていたんですが忘れていただけで思い出しましたぞ。

今、公自以爲弁於薛公、而軽秦。是塞漏舟、而軽陽侯之波也。

今、公自ら以て薛公に弁ずと為し、秦を軽んず。これ漏舟を塞ぎて陽侯の波を軽んずるなり。

「さてさて、あなたさまは今、斉の実力者・薛公にうまく話しをつけた、とご自分で思っておられ、秦の方を軽視しておられるように見受ける。これは、舟の浸水箇所は塞いだものの、大波なんか来ないだろう、とタカをくくっているのと同じでございますぞ」

―――むむ。

願公之察也。

願わくば、公の察せられんことを。

「ようく、お考えなさりますように。くっくっくっくっく・・・」

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「戦国策」巻八「韓策」より。

―――どうせ大波が来るんだから、舟が浸水してきても気にせずに放っておけばいいんだ、小さいことは気にするな、ということですよね。わーい、遊んで暮らそうっと。

・・・という解釈は違いますね。まず漏舟を塞いで、それから陽侯の波に気をつけろ、と言っているんですから、小さいことも大きいことも気にするように、という寓言(たとえ話)になっています。実際には、(斉との友好を否定はしないが)秦との関係をもっと重視しろ(いわゆる「連衡策」)という主張になっているわけで、寓言というのはその語られた場面では、常に具体的な政治的主張とセットになっているものなのでございます。くっくっくっく・・・。

 

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