平成30年10月8日(月)  目次へ  前回に戻る

秋となり、収穫の時が近づいたからであろう、ハニワたちもざわめき始めているようである今日このごろ、みなさん如何お過ごしですか。

今日は白露節だったかも。あったかいのであんまり気になりませんでしたが、さすがに明日からは寒くなるんでしょうかなあ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

老子の弟子が著した、といわれる「文子」という本にこんなコトバがあります。

不憂天下之乱而楽其身治者、可与言道矣。

天下の乱を憂えずしてその身の治まれるを楽しむ者は、ともに道を言うべけんや。

世界の混乱を心配などせず、自分だけがうまくいっていればいいや、という人とは、道について語り合うことができようか。

と。

わし(←肝冷斎にあらず。明の焦gさんのこと)は役人として何十年か朝廷のシゴトをさせていただき、この間、

会時事棼棼、日懐憂慮。竊見同事無与共憂者、意愈皇皇、若不能朝夕。

時事の棼棼(ふんふん)たるに会いては、日に憂慮を懐(いだ)く。ひそかに同事の、ともに憂うる者無きを見、意いよいよ皇皇として、朝夕あたわざるがごとし。

「棼棼」は「紛紛」と同じで乱れる様子。「皇皇」はここでは「遑遑」と同じで、落ち着かない様子をいいます。

現実の事態が混乱しているのに遭遇して、日々憂いの思いを抱いていた。ところが、同僚たちは同じように憂慮しているわけではない。これを見て、思いはさらに落ち着かず、朝も夜も無いようなありさまであった。

相知者謂余無責守、何必乃爾。然余方竊禄於朝、万分不能解。

相知る者、余に謂うに、責守無し、何ぞ必ずしもすなわち爾(しか)るや、と。然れども、余はまさに朝に禄を竊めば、万分も解くあたわず。

よく知るひとが、わしに「おまえさんの責任の無い問題にまで、どうしてそんなに心配するのだね」と言ってくれたが、そう言われたからといって、わしは国家から俸禄を戴いている身である。ほんの少しも緊張を解くことはできなかった。

ところが、です。

帰来巌棲采蕨、興味蕭然、乃若弛於負担者、但楽其身治、則深有愧焉。

帰り来たりて巌に棲み蕨を采るに、興味蕭然たりて、すなわち負担において弛む者なるがごとく、ただその身の治まれるを楽しみ、深く愧ずる有り。

役所務めを辞めて山の中に住みワラビを取るような隠退生活に入ってみると、物事への興味がさっぱり無くなってしまい、責任感については弛緩してしまいました。今はただ、自分だけがうまくいっていればいいや、というキモチになってしまっており、本当に反省しなければなりません。

ところで、宋のひと楊肩吾にこんなコトバがあるそうだ。

天下雖不治平、而吾国未嘗不治且平者、岐周是也。

一国雖不治平、而吾家未嘗不治且平者、曾閔是也。

一家雖不治平、而吾身吾心未嘗不治且平者、舜与周公是也。

 天下治平せずといえども、吾が国いまだかつて治かつ平ならずんばあらざる者は、岐周これなり。

 一国治平せずといえども、吾が家いまだかつて治かつ平ならずんばあらざる者は、曾・閔これなり。

 一家治平せずといえども、吾が身吾が心いまだかつて治かつ平ならずんばあらざる者は、舜と周公これなり。

世界が平らかに治まっていなくても、その国だけは平らかに治まっていた、という例がある。周の国がそれだ。(やがて周の国は殷を倒して天下を平和にした。)

国中が平らかに治まっていなくても、自分の一族だけは平らかに治まっていた、という例がある。(孔子の弟子であった)曾参や閔子蹇の一族がそれだ。(彼らの徳行は後世に大きな影響を与えた。)

一族は平らかに治まっていなくても、自分の身、自分の心だけは平らかに治まっていた、という例がある。両親や弟に憎まれていた舜や、兄弟の叛乱を鎮圧せねばならなかった周公がそれだ。(舜や周公はその徳がやがて天下に及び、聖人となった。)

何もかも文句なしにやれるわけがない。自分のやれるところからやっていくしかないのだ。隠退して自分のことしか考えられなくなったからといって、社会に貢献できないわけではないのである。

当以其言、書紳自警。

まさにその言を以て、紳に書きて自警すべし。

このコトバは帯に書きつけて、いつでもそれを見て、自分を戒めるようにしなければならないコトバである。

・・・・・・・・・・・・・・・・

明・焦g「焦氏筆乗」続集巻四より。勉強になるなあ。明日から平日だからシゴトするひとのためになるかと思ってこんな文章も紹介してみた・・・んですが、肝冷斎一族は天下のことを憂慮したりするのは、ちょっとムリですなあ。そんなことよりやきうでも観に行くのを優先すると思います(岡本全勝さんからも激賞と励ましが!)

なお、冒頭引用の「文子」のコトバは、焦gさんは反語に読んでいると思いますが、本当は肯定(「そんなやつとこそ、道を語ることができる」)に読むべきなのではないか、という気もいたします。

 

次へ