平成30年7月27日(金)  目次へ  前回に戻る

「このデクたちを身代わりに立てて出勤しているふりをし、夏休みをとるでぶー」「もぐー」。ぶたとのとモグはなんという知恵者であろうか。

台風が東からぐぐぐーと曲がって向かって来ているらしいんですが、27日深夜の今、天気はものすごく静かなんで、明日は大丈夫でしょう。電車とか空いていると思うんで、朝から出歩こうかなー。ぐふふ、おいら知恵者だなー。・・・いやいや。台風の中、出歩こうとするのはオロカ者です。知恵者とは下記のようなひとのことですよ。

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戦国の時代のことですが、斉の威王(在位前356〜前319)に仕えて丞相となった成侯・趨忌(この人についてはこちらも参照ください) は、将軍の田忌と関係が悪かった。

あるとき、公孫閲というひとが鄒忌のところに来まして、

公何不謀伐魏。

公、何ぞ魏を伐つを謀らざる。

「あなたはどうして隣国である魏を征伐することを発案なさらないのですか?」

と言った。

「現在、魏と我が国の関係は良好である。魏を征伐することにどんな利益があるのかね?」

公孫閲はにやりと笑って言った。

「それは・・・、

田忌必将。戦勝有功、則公之謀中也。戦不勝非前死、則後北。命在公矣。

田忌必ず将たらん。戦勝して功有れば、すなわち公の謀(はかりごと)の中(あた)れるなり。戦勝たざれば、前(すす)みて死するにあらざれば、後(しりぞ)きて北(のが)るるなり。命は公に在らん。

魏を攻めることになれば、必ず田忌さまが将として軍を率いることになりましょう。

田忌さまが戦に勝って、戦果があれば、これを発案したのはあなたですから、すなわちあなたの発案が正しかった、ということになります。もし戦に負けることになれば、田忌さまは前進して戦闘中に戦死なさるか、敗退して逃げてくることになります。逃げてきた将軍のお命は、丞相であるあなたの思いのままでございましょう・・・」

「・・・」

鄒忌はただちに王のところに行き、魏の国を征伐する案を上申しました。

「よろしい。して、将軍には誰を任命しようか」

「それはもちろん、田忌どのしかございますまい」

ということで、斉軍は、田忌の指揮のもと、魏に向かいました。そして、

大敗之桂陵。

大いにこれを桂陵に敗る。

魏軍を魏の都・邯鄲付近の桂陵の地で大いに破ったのでございます。

魏は降伏し、

於是斉最彊於諸侯、自称爲王、以令天下。

ここにおいて斉、諸侯に最も彊く、自称して王と為り、以て天下に令せり。

こうして、斉は諸侯の中でも最強となり、自ら「王」と名乗って諸侯に対していろいろ命令するようになった。

威王を支える丞相・趨忌と将軍・田忌の権威はさらに増したのでございました。

さて―――。

何年かしたころ、また公孫閲が鄒忌のところにやってきました。

公何不令人操十金卜于市曰。

公、何ぞ人をして十金を操りて市において卜して曰(い)わしめざるや。

「あなたはどうして、誰かに命じて、黄金十枚を持って市場にいる占い師のところに行かせ、そこで大声で占いを頼ませないのですか?」

「わしは占いなど信じないが、何を占ってもらうのじゃ?」

「このように大声で頼ませるのです。

我田忌之人也。吾三戦而三勝、声威天下。欲為大事、亦吉乎、不吉乎。

「我は田忌の人なり。吾三戦して三勝し、声天下に威す。大事を為さんと欲するに、また吉か、吉ならざるか」と。

―――わたしは、田忌の部下の者だ。われわれは斉のために三度の大きな戦争をつかさどり、三度とも勝利をもたらした。天下にわが主君の威名は轟いている。さて、そこでこのたび、さらに大きなある事をしようと考えているのだが、そのことは吉となろうか、吉とならないであろうか。

こう言っておいて、占い師の店に入り込ませるのです。「さらに大きな事」とは何であろうか、それは言わせる必要はございません。

占いが終われば、占いを頼んだ者はその場を去らせます。そして、

卜者出、因令人捕為之卜者、験其辞於王之所。

卜者出でなば、因りて人をしてこれを卜せんとする者を捕らえしめ、その辞を王のところにて験せしめよ。

占い師が店を出てきたところで、別の者に「このことを占ったのは誰か」と問わせて、逮捕させ、王のところに連れて行って、占いの結果がどうであったか、話させるのです。

それだけで、田忌どのはこの国から追われてしまいましょう」

「・・・」

数日後、斉の都・臨淄の市場で、田忌の部下と名乗る男が「大事」について占いを求め、その占い師がつかまって、王さまのところに事情が報告された、という事件が起こりました。

「なんと!!!!!!!」

田忌聞之、因遂率其徒、襲攻臨淄、不勝而犇。

田忌はこれを聞き、因りて遂にその徒を率いて臨淄を攻め、勝たずして犇(はし)れり。

田忌はそのことを耳にすると、即座に自分の部下たちを集めて、都・臨淄に攻め込み、クーデタを起こそうとしましたが、失敗して、他国に亡命してしまった。

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「史記」巻四十六「田敬仲完世家」より。田忌は王と同じ田氏ですので、「大事」とは「主君からの簒奪」であろう、と普通に想像できるわけです。知恵者だなあ。

ところがこのあと、威王が亡くなって宣王(在位前319〜前300)の時代になり、秦が力をつけて魏を支援し出すと、宣王は田忌を呼び戻して再び将軍とし、鄒忌と田忌はまた丞相と将軍として、並んで仕えることになったのである。ああ、仲良きことは美しいなあ。みなさんも仲良くしてくださいね。

 

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