平成30年7月3日(火)  目次へ  前回に戻る

今回の更新は、おそろしい竜を簡単に退治する方法がある、との重要情報である。

今日も疲れた。そろそろ週末か・・・と思ったがまだ火曜日とは・・・。

と思ったが、出奔しているので実は疲れていません。ああニンゲン世界から離れてよかったなあ。

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重要な情報を見つけたので書いておきます。

唐の宝応年間(762〜763)、浙江・海州で堰(堤防)が破れたことがあり、東海令・李知遠に命じてこれを修復させた。

ところが、

堰将成、輒壊。如此者数四、用費過多、知遠甚憂之。

堰まさに成らんとしてすなわち壊る。かくのごときもの数四、用費過多、知遠はなはだこれを憂う。

堤防の修復が終わろうとすると、また壊れてしまった。このようなことが四回も続き、費用がずいぶん嵩んできて、知遠はたいへん憂慮していた。

そんなとき、あるひとが耳よりな情報をもたらしてきた。

梁築浮山堰、頻有決壊、以鉄数万斤積其下、堰乃成。

梁、浮山堰を築くに、頻りに決壊有り、鉄数万斤を以てその下に積み、堰すなわち成る。

「以前、河南地方で浮山堰という堤防を築く際、やはり何度も決壊したのですが、鉄を数十トン(一斤=600グラムで計算)堤防の下に敷いて、その上に土を盛り上げたところ、堤防は完成したそうです」

「・・・ほんとかなあ」

と疑ったりせず、

知遠依其言、而穴果塞。

知遠その言に依るに、穴果たして塞がれり。

知遠がそのコトバどおりに(鉄を下敷きに)したところ、堤防の穴を塞ぐ工事は完成した。

さて、その理由を考えるに、

初、堰之将壊也、聞其下殷如雷声。至是、其声移上流数里。

初め、堰のまさに壊れんとするや、その下に殷たる雷声の如きを聞く。ここに至りて、その声上流数里に移れり。

最初のころ、堤防の修復間際になると、下の方からゴロゴロとカミナリのような音が聞こえてきて、それから壊れていた。工事が完成すると、同じ音が上流1〜2キロ(一里=600mで計算)のところに移動しているのが観察されたのである。

このことからわかったのは、

蓋金鉄味辛、能害目。蛟龍避之而去、故堰可成耳。

けだし、金鉄味辛にしてよく目を害す。蛟龍これを避けて去り、故に堰成るべきのみ。

つまり、金属はその味がぴりぴりと辛く、目を傷める力がある。このため(堤防の底に潜んでいた)水龍たちがこれを避けて移動したので、この堤防の修復は成功したのだ、ということである。

ゴロゴロは龍たちの音だったんです。

わかってしまえば簡単なことであった。

また、郎中の程晧というひとの話では、

宅前有小池、有人造剣。於池内淬之、池魚皆死。以此知魚龍皆畏鉄也。

宅前に小池有りて、人、剣を造る有り。池内においてこれを淬(にら)ぐに、池魚みな死せり。ここを以て、魚龍みな鉄を畏ることを知る。

「淬」(サイ。「にらぐ」)というのは、刀剣などを鍛えるために熱した金属を水中に入れて急速に冷やすこと、です。

家の前に小さな池があった。その池の近くに刀鍛冶の家があり、その刀鍛冶が剣を鍛えるために熱して、池水に入れて冷やしたところ、その池の魚は全滅してしまった。これによって、魚や龍など水中にすむ生物は、鉄を嫌がることがわかった。

ということである。

さて、明の天順年間(1457〜1464)、徐有貞という地方官が黄河の決壊に苦しんでいたとき、一老僧が現れて、

以鉄鎮之。

鉄を以てこれを鎮めよ。

「鉄を使えば(龍の怒りを)鎮めることができますぞ」

と告げた。そこで試してみたところ、

功輒就。

功すなわち就る。

たちまち工事に成功することができた。

このとき、

人以僧爲神。不知前時已有此矣。

人、僧を以て神と為す。知らず、前時すでにこれ有るなり。

ひとびとはその僧侶のことを神さまの化身ではないかと大騒ぎしたが、実は昔、すでにこのようなことはわかっていたのを、みんな知らなかっただけなのである。

これだけ事実が積み重ねられているのだから、魚竜の鉄を畏れることを疑うことはできない。

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「焦氏筆乗」続集巻五より。やっぱり昔のひとの記録は役に立つなあ。文書の書き換えとかするとこんな重要な情報も伝わらなくなってしまうんだなあ。愚者は経験からしか学ばないが、知者は歴史から学ぶ、と申します。〇日新聞を読むような知識人のみなさんは、当然こんなことも知っているんだろうなあ。

 

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