平成30年6月13日(水)  目次へ  前回に戻る

ぶたの腹は減ると「ぶうぶう」とうるさく、腹いっぱい食ったあとは「ごろごろ」とうるさい。

今日もハラが苦しい。膨満しています。

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以前にご紹介したことがありますが、「応声虫」という寄生虫?がいます。

淮西の士人・楊緬というひと、

中年得奇疾。毎発言、腹輒有応声。

中年にして奇疾を得たり。発言するごとに、腹にすなわち応ずる声有り。

壮年も過ぎたころ、おかしな病気にかかってしまった。彼が何かものをいうと、腹の中からいつも応える声が聞こえるのである。

「おう」とか「やあ」とか、返事してくれるんです。

はじめは自分にしか聞こえなかったのですが、

未幾、其声浸大。

いまだ幾ばくならずして、その声ようやく大なり。

そんなに時間が経たないうちに、その声がどんどん大きくなってきた。

周りのひとに、いつも聞こえるようになってきました。

道士が通りかかってその様子を見て驚き、

此応声虫也。久不治、延及妻子。宜読本草、遇虫所不応者、当取服之。

これ応声虫なり。久しく治せざれば、延いて妻子に及ぶ。よろしく本草を読みて、虫の応ぜざるところに遇わば、まさに取りてこれを服すべし。

「これは応声虫にやられているのですぞ。このまま放っておくと、奥さまやご家族にまで伝染してしまいます。これを治療する方法はただ一つ、「本草」書に書いてある薬類を順次読み上げて行って、(読めば応声虫は「おう」とか「やあ」とか応えるわけですが)応えない薬があれば(それがこいつの敵なので)、それを入手して服用することです」

「なるほど」(おう)

そこで「本草」を読み上げていきますと、そのたびに腹の中からは「おう」「やあ」と答えがあったのですが、

読至雷丸、虫忽無声。

読みて雷丸に至るに、虫たちまち声無し。

読んでいって「雷丸」という薬の名前を口にしたときには、腹の中のやつは突然何も応えなくなった。

どうやらこれが「敵」のようです。

乃頓餌数粒、遂癒。

すなわち頓に数粒を餌するに、ついに癒ゆ。

そこですぐ数粒服用したところ、とうとう治ってしまった。

よかったです。

「雷丸」は今も正倉院に実物が残っているそうですが、分析するとサルノコシカケの胞子の塊なんだそうですよ。

ああよかったなあ、と思っていたのですが、

後至長汀遇一丐者、亦有是疾病。

後に長汀に至りて一丐者に遇うに、またこの疾病有り。

数年して、福建の長汀の町に赴いたとき、ひとりのコジキがやはりこの病にかかっているのを見かけた。

コジキの回りには

「お、なんか言ったぞ」「おい、もっと言わせろ」「これは不思議ね」

などとわいわい騒ぎながら、

観者甚衆。

観者はなはだ衆(おお)し。

見物人がずいぶんたくさん集まっていた。

多数の見物人にも聞こえるのです。かなり進行してしまっているようだ。

そこで楊緬は

教之使服雷丸。

これに雷丸を服せしめよと教う。

「このひとには雷丸を飲ませてあげればいいのです」

と教えてやった。

するとコジキは手を振って、

某所求衣食於人者、惟藉此耳。

某の衣食を人に求むるところは、ただこれに藉(か)るのみなり。

「あっしが着るもの食うものをひとさまから頂けるのは、ただただこの病気(の様子を見せること)のおかげなんでさあ」

と言い、服用しようとしなかった。

ああ残念だ。

さて、

後数年、緬復至長汀、見前丐尚在。

後数年、緬また長汀に至るに、前丐なお在るを見たり。

後数年、楊緬は再び長汀を訪れたのだが、以前のコジキがまだ元気そうにしているのを見た。

よかった。生きていたのである。

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明・劉忭等「続耳譚」巻六より。生きるためには治してしまってはいけないものもあるんです。

ところでこのお話、明の同時代の話のように劉忭らはしゃあしゃあと記しているんですが、実は宋の時代の事件らしく、宋・陳正敏の「遯斎閑覧」ではこのように記録されています。宋から明まで、だいたい300年ぐらいの間に何が付け加わったか、比較してみていただくのも一興ではないでしょうか。ついでに肝冷斎もこの九年の間に何代も代替わりしたが、九年前のご先祖さまはこんなに親切に解説していたのだ、と感心しました。ご先祖肝冷斎はすでに歴史に埋もれて行ったとはいえ、尊敬に値いするひとだったんだなあ。

 

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