平成30年5月17日(木)  目次へ  前回に戻る

水辺にはおそろしい生物たちも多い。

珍しく酔ってますねん。帰宅後一時間ぐらい眠ってました。起きた。

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夏となってまいりまして、昼間は29℃。川にでも入っていたいぐらいになってきました。今日は爽やかな水のお話をいたしましょう。

明の時代のことでございます。

安徽の某県のひと朱時茂は、虞長孺先生の門下生であるが、その実家は

世爲木客、備知蛟化木状。

世に木客たれば、つぶさに蛟の木状に化するを知れり。

代々林業に従事してきたので、水龍が木のように化けるのをよく知っていた。

林業をやっているとそういうことに詳しくなるんですね。

少年時代のある夏の日、友人らと渓谷で水浴びをしていると、

見一木浮水、欲跨之、滑不可上。

一木の水に浮かぶを見、これに跨らんとするに、滑りて上るべからず。

一本の木が水に浮かんで流れてきたのを見かけたので、これに跨ろうとしたのだが、つるつると滑って上ることができない。

「なんでちゅか、こいつは・・・」

とそこで、ピンと来た。

疑其爲蛟。

疑うらくはそれ蛟ならんと。

「これはきっと水龍であるにちがいありません」

自分の頭から

取銀簪挿其上。

銀簪を取りてその上に挿す。

銀のかんざし(←髪の毛を束ねるために男子が用いる)を取り、これをその木に「ぶすり」と刺した。

それから、

呼同浴者共牽挽之。

同浴者を呼びてともにこれを牽挽す。

一緒に泳いでいたやつらに声をかけて、一緒にこの木を岸に向けて引っ張った。

「どうも水龍みたいなんでちゅ」

「本当に水龍かなあ」

「わーい」

「わーい」

と言いながら、

将就岸復滑去者三四、所挿簪欹欲堕、抜欲更挿、応手而没。

まさに岸に就かんとしてまた滑去すること三四たび、挿するところの簪、欹(かたむ)きて堕ちんとし、抜きて更に挿さんとするに、手に応じて没す。

もう少しで岸に着く、というところまできたが、そのときにつるつると三回も四回も滑って引っ張れなくなった。その間に刺したかんざしが傾いて抜けそうになってきたので、

「刺し直しまーちゅ」

と一度抜いて―――抜いた瞬間に、どぼん、と木は水中に潜ってしまった。

「わーい、逃げた」

「わーい、まずいよ」

たちまち

風濤大作、衆驚竄、未及家、雨雹交下。

風涛大いに作(おこ)り、衆驚きて竄するに、いまだ家に及ばずして雨雹こもごも下れり。

激しい風が吹き、水は波立ちはじめた。

「わーい」

みんな大慌てで水から出て、逃げ帰ったが、家に至りつく前に、雨にヒョウが混じって強く降り始めたのであった。

果蛟也。蛟木類、畏五金。

果たして蛟なり。蛟は木類にして五金を畏る。

やっぱり水龍だったのである。水龍は木の精でもあるので、金銀銅鉄鉛の五種の金属を恐れる。

それを刺しこんだ間は無力なのだが、抜いた瞬間からすごい霊力を発揮したというわけなのだ。

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明・馮夢禎「快雪堂漫録」より。同書は馮夢禎、字・開之が知合いから聞いた不思議な事件やゴシップ類をメモしたものですが、特に虞長孺というひとが大量に情報提供しているようです。馮夢禎は浙江のひと、嘉靖二十七年(1548)の生まれ、〜1605萬暦五年(1577)の進士で、湯顕祖らと親交があった。官は南京国子祭酒(南京国立大学教授)に至ったが、弾劾されて辞職し、晩年は禅を楽しんで真孤山中に隠棲し、萬暦三十三年(1605)没。その詩文集「快雪堂集」があり、その死後数十年してから印刷されることになったが、完成する前に火事ですべて燃えてしまった。

固不欲留此枝贅耶。

もとよりこの枝贅を留むるを欲せざるか。

もしかしたら本人が、その人格からしたら余計な枝のような文集などがこの世に遺ることをいやがったのかも知れない。

と評せらる。そしてこの「漫録」だけが残ったのであるというから、本人のお気に入りだったのであろうか。

 

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