平成30年2月1日(木)  目次へ  前回に戻る

また雪が降りやがるとは。寒いのに。

二月になりましたので、もう春が来た・・・と思ったんですが、今日はまた雪が降っております。雪が降りますと、わしのような年寄りは足元が覚束なくてツラいのでございます。

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我が国のことでございますが、

随身公助失其姓氏、仕摂政兼家。嘗従父武則、賭射右近馬場。

随身・公助、その姓氏を失えるは、摂政・兼家に仕う。嘗て父・武則に従いて右近の馬場に賭射せり。

摂政・兼家は、東三条殿・藤原兼家(929〜990)さま。藤原道長らの父であります。

貴人の護衛をする随身の公助(きみすけ)なる者――その氏族と苗字は不明――は、摂政の藤原兼家さまにお仕えしておったが、ある時、父の武則とともに出かけて、右近の馬場で行われた賭弓(のりゆみ)に出場した。

「賭弓」は宮中で行われた行事で、舎人たちが二方に分かれて弓を射、その成績によって勝ち負けを決め、勝った方が賞品をもらうんだそうです。正月十八日に行われたということです。

そういう晴れの場で、

不勝。武則怒撻之、公助伏受之。

勝たず。武則怒りてこれを撻(むちう)つに、公助伏してこれを受く。

勝てなかった。そうしたら、おやじの武則は怒りまして、公助をむちでぶん殴った。公助は平伏して、甘んじてぶん殴られていた。

あるひとが言った。

何不走。

何ぞ走(に)げざる。

「どうして逃げ出さないのじゃ」

公助は答えて言った。

父老足弱、追我疾走、則恐致顛躓。若有損傷、重吾罪也。

父老いて足弱く、我を追いて疾走せば、すなわち顛躓を致さんことを恐る。もし損傷有れば、吾が罪を重くせん。

「おやじは年をとって足元が弱ってきているんです。もしわたしが逃げ出せばおやじは追いかけて来ますから、走って躓いて転んでしまうかも知れません。それでもしケガでもしたら、わたしは一段と申し訳ないことになります」

「なんと」

「立派なひとじゃなあ」

とみな称賛したそうでございます。

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本朝・山下直温「皇朝蒙求」巻下より。「本朝美談」などにも収められた美談らしいんですが、もとは「古今著聞集」巻八にあるお話です。

昔のひとはオロカだから彼らにとっては美談でも、進歩したゲンダイではDV問題ですし、ほんとのところは、おやじは「足」ではなくて判断力が弱くなっているのかも知れませんし、息子がこんなこと言っているのが聞こえないぐらい耳が弱くなっているのかも知れませんし、もしかしたら自分たちの名を上げるために親子でしめし合わせてやっているのかも知れません。ああ何もかも疑わしいことばかりである。

「漢文で書いてあることなど信用できん」と言う人もいるかも知れませんので、以下に「古今著聞集」の該当部分を掲げておきます。

武則、公助といふ随身父子ありけり。右近馬場の賭弓わろくつかうまつりたりとて、子公助を晴れなかにて打ちけるを、にげのく事もなくてうたれければ、みる人、

「いかに逃げずしてかくはうたるるぞ」

といひければ、

「もし逃げはべりなば、衰老の父をはんとせんとするほどに、たふれなどしはべらば、きはめて不便なりぬべければ、かくのごとく、心の行くほどうたるるなり」

と申しければ、世の人、

「いみじき孝子なり」

といひて、世のおぼえこれよりぞ出できにける。

「はべりばはべらばぬべければ」など、むかしの日本人は実にのどかにしゃべっていた、というのが感じ取れますのじゃ。

 

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