平成29年12月14日(木)  目次へ  前回に戻る

もはや病的に食っている感じ。

本日も忘年会。また大量に食ってしまった。先週来の体重増で血圧や睡眠時無呼吸に影響が出はじめてきている。

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唐の大暦二年(767)、四川の夔州に疎開しておりました杜甫のところに、珍しいことに、一族(兄の孫にあたる)の杜崇簡が訪ねてきた。

「わーい、よく来てくれたのう」

と、感動して作った詩。

吾宗老孫子、 吾が宗の老孫子、

質樸古人風。 質樸にして古人の風あり。

わが一族の、孫の代にあたる崇簡は老成していて、

質実で純真なタイプ、昔のひとのようである。

どんなふうに質実かというと、

耕鑿安時論、 耕やし鑿(うが)ちて時論に安んじ、

衣冠与世同。 衣冠は世と同じなり。

 耕作し(てメシを食い)、井戸を掘って(水を飲み)、今の世の中の動きに従順に暮らし、

 服やカンムリは一般世間と同じスタイル(で奇抜を好まない)。

在家常早起、 家に在りては常に早起し、

憂国願年豊。 国を憂いては年の豊かなるを願う。

 自宅にいては、いつも早起きし(て労働に従事し)、

 国家のことを心配して(、しかし派手な出世を求めるのではなく)毎年の稔りが豊作であればいい、と願っているのだ。

しかしながら、

語及君臣際、 語は君臣の際に及び、

経書満腹中。 経書は腹中に満ちたり。

 語りはじめれば必ず君主への忠義と臣下のなすべきことに説き及び、

 儒学の経典の教えが(人生の指針として)腹の中にいっぱいに入っているのである。

杜崇簡がほんとにこんなひとだったのかどうか、他に資料が無いのでわからないんですが、こんなふうなひとが杜甫の理想だったんでしょう。

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唐・杜甫「吾宗」「わが一族」)。「経書、腹中に満つ」ようになりたいと勉強してきましたが、なかなかうまくいかず、今は腹中が食い物でいっぱいである。

 

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