平成29年10月23日(月)  目次へ  前回に戻る

年をとっても元気でいられれば何よりじゃ。

台風過ぎた後の空は青かったです。

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明の時代のことです。

北京の神鶴観(観は道教のお寺)に郭蓬素という道士がいて、取り立てた法力や学問があるわけではないが、戒律を善く守り、何十年も謹厳に務めを果たしていた。

六十歳時、遇一異人至。

六十歳の時、一異人の至るに遇えり。

六十歳になったころ、神鶴観にひとりのおかしな修道者がやってきたのに出会った。

髪もヒゲもぼうぼうでみすぼらしい身なりだが、いつも若々しい顔色で、一日中どこかを歩き回っている。夜も横になっているところを見たことが無いのだが、疲れることはないらしい。回りの道士たちはこの修道者の身なりを見て軽蔑していたが、蓬素は何くれとなく世話をしてやったので、修道者の方も打ち解けるようになった。

ある日、修道者が

「うえっへっへ、郭道士。あんたは何のよろこびもなくただ実直に生きてもう老年を迎えたわけですなー。何か望みとかあるのかな?」

と問いかけてきたので、蓬素は笑いながら、

欲乞長生之訣。

長生の訣を乞わんと欲す。

「そうさなあ、おまえさんはいつも元気そうじゃから、長生きの秘訣でも教えてくれるといいのだがのう」

「うっへっへ、長生きなあ・・・」

修道者は言った。

未也。更二十年後、吾当点化爾、今且先尋外護。

いまだしなり。さらに二十年後、吾まさに汝を点化せん。いまはしばらく先ず外護を尋ねよ。

「うっへっへ。まだ早いなあ。あと二十年したら、わしはあんたを何とかしてやろうと思うけど、まだ先は長いので、今のところはまずはパトロンを探すのが先だなー」

「あと二十年もしたら、わしは死んでおるに決まっているぞ」

「うえっへっへっへ」

そのうち、修道者はふいといなくなってしまった。

蓬素はその修道者のことなど忘れてしまっていたが、数年後、孫尚書というひとが道観を作ったので道士を募っていると聞き、そこに雇ってもらった。

さらに時は流れ―――。

蓬素八十歳、異人復来、曰、吾度爾矣。

蓬素八十歳なるに、異人また来たり、曰く、「吾、汝を度せん」と。

蓬素が八十歳になったとき、おかしな修道者がまた現れて、「わしはおまえを救済しに来たんじゃぞ」と言った。

そして、

究其術、皆房中補導、名為接命。

その術を究むるに、みな房中の補導にして名づけて「接命」と為す。

修道者から教えられた秘術を究め尽したのであったが、その術は要するに性的な行為を身体の力に変えるもので、「命の接ぎ足し」といわれるものであった。

その後、蓬素は孫家の道観を辞してしばらく西山に籠っていた。

それから戻ってくると、

鬚髪返黒、面如二十少年、京師人無不驚異。

鬚髪黒きに返り、おもては二十の少年の如く、京師の人、驚異せざる無し。

ヒゲも髪も黒に戻り、顔は二十歳ぐらいの若者にしか見えなくて、北京市内のひとびとは、みな大いに驚いた。

孫尚書も驚いて走り出て、拝礼して再び自家の道観に迎えた。

深加敬事、得其術一二焉。

深く敬いを加えて事(つか)え、その術の一二を得たり。

尚書は、これまでは自分が雇っているという扱いもあったのだが、これ以降は従来に増して深く尊敬して世話をし、おかげで秘術の一つ二つを教えてもらった。

ということである。

房中の補導術ですか。一つ二つ教えてもらうだけでもウラヤマしいですなあ。

それからまた二十年ほど経たが、

郭今尚存。

郭、今なお存す。

郭道士は、今もお元気でおられる。

お元気ですってよ。うえっへっへっへ。

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明・銭希言「獪園」第四より。西山に籠っているうちに別の人に取り換えられた、のカモ知れませんね。

さて、今日はまだ月曜日です。変な房中の術は要らんので、なんとか週末まで夢をみながらやっていける、というそのレベルの魔法があればいいのですが。ぶー。

 うつつを夢と観ずれば

 夢やうつつとなりなまし  (三好達治)

 

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