平成29年9月20日(水)  目次へ  前回に戻る

花鳥風月にしか興味の無いようなぶた公家にも、いろいろと怨恨はあるらしく、ぶたとのとは先祖代々仲が悪いのである。

まだ水曜日。ぶた冷斎はしごとには行っていないので何曜日でもいいような気がしますでぶが、平日がまだ二日しか経っていないということに驚きを禁じ得ないでぶ。こんなに長い時間シゴトとかしていたら、怨恨はかなりたまるんだろうなー。

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漢の武帝が東の方、海のほとりまで視察に出かけた。

すると、

斉人之上疏言神怪奇方者以万数。

斉ひとの上疏して神怪奇方を言う者、万を以て数う。

斉(今の山東あたり)のひとがわんさかやってきて、帝に上書して神秘的なこと、怪奇のこと、不思議な方術について申し上げる者が、数万人にもなった。

当時の人口からしたらすごい率ではないかと思います。

しかし、すべてウワサや理論ばかりで、

無験者。

験ある者無し。

証拠のある話は無かった。

「わしはウワサや理論ではなく結果が欲しいのじゃ」

帝は命じて、

益発船、令言海中神山者数千人、求蓬莱神人。

ますます船を発して、海中の神山を言う者数千人をして、蓬莱の神人を求めしむ。

次々と船を出させ、「東の海には神秘の島々がございます」と言ってきたものたちを船に乗せ、「蓬莱の神仙を連れてこい」と出航させた。その数は数千人であった。

その多くは帰ることがなかった。

また、山東行きを勧めた術士の公孫卿に使節のしるしを与えて先に行かせ、名のある山をめぐって神秘のことがあるかどうか探らせた。

すると、東莱の地から連絡してきて、

夜見大人長数丈、就之則不見。見其跡甚大、類禽獣。

夜、大人を見るに長(たけ)数丈、これに就けばすなわち見えず。その跡を見るに甚だ大にして、禽獣に類せり。

夜、巨大なひとを見ました。その背丈は5〜6メートルもございました。わたくし、その方のお傍に言ってお話しようとしたのですが、近づいたところ、ふい、と見えなくなってしまいました。しかし、本当におられた証拠に足跡が遺されてございました。たいへん大きく、まるで鳥かけだものの足のような形をしておりまする。

帝はただちに東莱に急行した。確かに巨大な足跡があったが、

上即見大跡、未信。

上、即ち大跡を見るも、いまだ信ぜず。

帝は、巨大足跡を見てもすぐには信用されなかった。

「足跡ではなく本物に会いたいのじゃ」

と、そのとき新たな報せが入りました。

帝は急いで東莱に来たので、群臣たちをあとに残してきたのですが、彼らが追いついてきて、

群臣有言、見一老父牽狗。言吾欲見巨公。已忽不見。

群臣言う有り、「一老父の狗を牽くを見る。言うに、吾、巨公に見えんと欲すと。已にして、たちまちに見えずなりぬ」と。

群臣らが口をそろえて言うには、

「帝がお出かけになられたあと、ひとりの老人がイヌを引き連れながらやってきたのです。その老人は、「わしは大いなる方にお会いしにきたのだが」と言うので、「それはおそらく帝のことであろうが、帝は一足先に出かけられたのだ」と教えると、残念そうな顔をして、ふい、と消え失せてしまったのです」

と。

「なんということじゃ」

則大以爲仙人也、留宿海上、予方士伝車、及間使求仙人以千数。

すなわち大いに以て仙人ならんとし、海上に留宿して、方士に伝車を予(あた)え、ひそかに仙人を求めしむるに及ぶこと、千を以て数う。

これは絶対に仙人だったんだと思い、海のほとりに泊まり込んで、術士たちに早足の車を与えて、ひそかにあちことに仙人を探し求めさせた。派遣された術士たちの人数は数千人であった。

しかし、見つからなかったのである。残念。

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「史記」巻二十八「封禅書」より。司馬遷というひとは武帝の治世を記すとき、ほかの事績にはほとんど触れずに、不老長生の術を求めて愚かにも次々と騙される姿ばかりを描いていて、かなり徹底しているんです。宮刑にされてち〇ち〇斬られたから何かすごい思いがあったんだろうなあ、というのが読んでてひしひしと伝わってきますでぶー。

 

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