平成29年7月3日(月)  目次へ  前回に戻る

なにを釣りあげようとするのか。魚か、月の影か。

三日間休んでにこにこ笑っていたが、明日はポータブル心電図なのでいよいよ出勤に。今から恐怖感いっぱいで、精神的なモノで心臓止まるかも。明日は台風も来るし、そんな日に出勤とは、涙滲んできます。泣き笑いである。

行く春や鳥啼き魚の目に泪 (芭蕉)

「古楽府」にいう、

枯魚過河泣、 枯魚、河を過ぎて泣く、

何時還復入。 何れの時にか還りてまた入らん。

 干物にされた魚が、河を渡って運ばれていくときに泣いた。

 「いずれの日にか、またあの川の中に帰ることができるだろうか」と。

かなしい詩句ではありませんか。

実はこれが芭蕉の「魚の目に泪」、みなさんが送別をしてくれるこの場所にまた戻ってくることができるのはいつであろうか、という挨拶の句の典拠なんだそうです。

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ところで、魚の目はなみだを流すだけでなく、笑う、ということもある。

魚目笑明月。

魚目、明月を笑う。

魚の目のたまが、明月(珠という宝玉)を笑う。

というのは、晋の張協というひとの詩に出るコトバだという。

貴重な宝玉である明月珠を、魚の目のたまが「己に如かざるもの」として嘲笑う、というのですが、魚の目のたまごときがどうしてそんなエラそうなことができるのか。

有説焉。魚目猶人目、然用之則明、不用之則昏也。

説有り。魚目は人の目のごとく、然らばこれを用うればすなわち明、これを用いざればすなわち昏なり。

いちおうこんな意見があります。

まず、魚の目のたまは、人間の目の玉と同様である、と。ならば、その目の玉で見ようとすれば、モノを見ることができる。見ようとしなければモノを見ることができない。

かように、意志さえあれば有用なものなのだ。

ところが、

明月珠猶月、然月無与於我、我亦無与於月也。此明月之不如魚目也。

明月珠は月のごとく、然らば月は我において与かる無く、我もまた月において与かる無きなり。これ明月の魚目に如かざるなり。

明月珠は月のようなものである。空にある月はわたしという者の意志と何の関係も無く存在し、わたしの方もまた、月とは何の関係も無く存在している。これを考えれば、明月珠は魚の目のたまほどにも貴重なものではない、ということなのである。

魚目見明月、即魚目居然一明月、而魚目霊於明月矣。明月入魚目、不能必魚目之不吐棄明月、而魚目貴於明月矣。

魚目の明月を見るや、即ち魚目は居然として一明月なれば、魚目は明月より霊なり。明月、魚目に入るも、必ずしも魚目の明月を吐棄せざることあたわざれば、魚目は明月より貴きなり。

魚の目の玉が明月を見たとします。すると、魚の目はそのままに一つの明月を宿す。魚の目の玉は明月より不思議な力を持つといえましょう。一方、明月が魚の目のたまに映ったとしても魚の目のたまは明月を見ようとしない、ということもありえます。とすれば、魚の目の玉の方が明月よりエラいんです。

それでとうとう、

魚目自以爲過之、故笑之。

魚目自ら以てこれに過ぎたりと為し、故にこれを笑うなり。

魚の目のたまは自ら、どうやら自分の方が明月珠よりも優れているのではないか、と思って、それで嘲笑した、というのです。

まあ、でも、違いますよ。ほんとはね。

余生長菰蘆。

余、菰蘆に生長す。

わたしは、漁村で生まれ育ちました。

しかも、

近不識洞庭、矧天下之奇山水哉。

近く洞庭を識らず、いわんや天下の奇山水をや。

近くにあるはずの洞庭湖さえ見たことがありません。その他の天下の珍しい山や川のすがたなど、推して知るべしです。

此魚目之見溝澮不見江湖者、乃不勝其自笑焉。

これ、魚目の溝澮を見て江湖を見ざる者なりと、すなわちその自ら笑うに勝(た)えず。

これでは、みぞやどぶ川を見たことがあるだけで、大河や湖を見たことがない魚の目のたまそのものではないか、と、自分を笑わずにはいられません。

笑而詠之、謂魚目之受命於天、於是而止。

笑いてこれを詠じ、謂う、魚目の命を天に受くるは、ここにおいて止どまれり、と。

笑って、それから歌うように言います、

「魚の目のたまがお天道様からいただいたお指図は、こんなところでござりましょう」

と。

さて、最初に掲げた「魚の目の玉が明月(珠)を笑う」というテーゼに戻りますと、これは

魚目自笑、不敢笑明月也。

魚目の自ら笑うなり、あえて明月を笑うにあらざるなり。

魚の目のたまは、自分のことを自嘲して笑っているのです。明月を嘲笑っているわけではないのでしょう。

・・・ということで、わたしはここに自分の著作を「魚目笑」と題して出版することにしました。

魚目亦笑而不言。

魚目また笑いて、言わず。

魚の目の玉(であるわたしは)笑うだけです。その笑いはあなたがた「明月にも等しい方々」を嘲笑しているのか、自分を笑っているのか。申し上げないでおくのがよろしいでしょう。

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明・姚宗典「魚目笑自序」「明人小品集」より)。このひとがどんなひとか、「魚目笑」という本の中身はどんなものか、いずれも伝わりません。ま、つまり、おいらも魚目だ、ということですよ、がっはっは。笑うのは自分を笑っているのか、みなさんを笑っているのか・・・これ以上は申し上げないでおくのがよろしいでしょう。

 

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